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社説・コラム

『この人』 海上自衛隊呉地方総監に就任した 伊藤俊幸さん

「国民目線」胸に 技磨く

 統合幕僚学校(東京)の校長から呉地方隊のトップに就任した。16年ぶりの呉勤務である。

 前回は潜水艦はやしおの艦長で、潜水艦桟橋あたりから約1・5キロ離れた地方総監部の庁舎は遠巻きに眺めるだけだった。その赤れんがの庁舎に詰めることになり、「国民の理解があって成り立つ自衛隊。呉の街と一体感を持って任務に当たりたい」と決意を新たにしている。

 海上自衛官の道に進んだのは防衛大学校で先輩の言葉に感銘を受けたからだ。「国境のない海を動く艦は国家と同じ。外交も担う職」。後日、その通りと実感した。1999年から約3年間、防衛駐在官として米ワシントンで勤務したときである。

 2001年、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高の実習船が米原潜に衝突され沈没、9人が亡くなった。生徒たちの捜索は難航。打ち切りに傾く米海軍に日本人の遺体に対する考えを説くなど、交渉の前線に立った。

 「国民目線」を胸に刻む。海上幕僚監部で広報室長を務め、「男たちの大和」といった映画に協力して海自隊PRにも努めた。災害支援などで自衛隊への国民感情は和らぎ、親近感も増したとされるが、隊員にはくぎを刺す。「自衛隊反対を叫びにくい時代になった。そんな時こそ調子に乗らず足元を固めろ」

 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を受け、法整備作業が始まる。「活動が一番変わるのは海自。ただ自衛官はオーダーに備え技を磨くだけ」と冷静に受け止める。

 体力づくりが趣味でジム通いを続ける。妻と娘3人。自宅がある東京から単身赴任。愛知県豊明市出身。海将。(小島正和)

(2014年8月14日朝刊掲載)

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