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核なき世界へ英知結集 ノーベル平和賞受賞者サミット

■記者 金崎由美

 歴代のノーベル平和賞受賞者・団体の代表者が集う「2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミット」が12~14日、広島市で開かれる。テーマは「ヒロシマの遺産-核兵器のない世界」。8人の受賞者、13の受賞団体が参加を予定する。国籍、経歴、境遇も多彩なリーダーが英知を結集し、被爆地から世界に核兵器廃絶を訴える。


被爆地で8人・13団体が議論

 ノーベル平和賞受賞者世界サミットは、自らも受賞者であるゴルバチョフ元ソ連大統領が設立した財団が1999年、ローマ市の協力を得て初めて開催した。これまでにローマで8回、パリとベルリンで各1回開かれ、貧困や暴力、紛争など平和を脅かす諸問題を話し合ってきた。

 11回目のサミットを広島で開催するきっかけは2006年にさかのぼる。広島市の秋葉忠利市長がローマでのサミットに招待され、被爆地のメッセージを発信したことがその第一歩となった。そして今春、ローマのサミット事務局から市に開催の打診があった。

 市と広島県などは7月、サミットの支援推進協議会を設立し、準備を進める。昨年の受賞者であるオバマ米大統領にも出席を求める書簡を出したが、実現はかなわなかった。

 広島サミットの日程は12~14日の3日間。ダライ・ラマ14世たち8人の歴代受賞者と団体の代表者、核軍縮の専門家の100人が集う。1989年の天安門事件での元学生運動指導者ウアルカイシ氏も、今年の受賞が決まった劉暁波氏の代理として出席する。

 12、13の両日は南区のグランドプリンスホテル広島を会場に「安全保障に核兵器は必要か?」「核兵器のない世界に向けての進展」などセッションごとに議論。14日は中区の平和記念公園でサミットを締めくくる。


慰霊碑前演説やサミット賞の授賞式 歴史的瞬間共有しよう

 市民が広く参加してこそサミットは盛り上がる―。12、13日のセッションの傍聴は申し込みが締め切られたが、平和記念公園である14日の日程は自由に参加できる。広島市は「歴史的な瞬間を歴代受賞者と共有して」と呼び掛けている。

 サミットの最終宣言を含む「平和アピール」は14日午前9時半~10時40分、原爆慰霊碑前である。歴代受賞者8人が順番に核兵器廃絶へのスピーチをする。市はこの日、8月6日の平和記念式典以外は通常立ち入り禁止の芝生広場を開放する。

 「平和アピール」のもう一つのメーンは、歴代受賞者たちが選ぶ「平和サミット賞」授賞式だ。過去の受賞者は、米国の俳優ジョージ・クルーニー氏たち著名人ばかり。受賞者名はサミットの約1週間前に発表される。

 また、サミットを歓迎しようと市民も野外イベントを企画する。開会前日の11日午後3時半、原爆ドーム対岸の親水テラスにイラストレーター黒田征太郎さんが登場。トランペット奏者の近藤等則さんの演奏に合わせて描く。

 同日午後5時半からは、原爆ドーム前を約千個のろうそくで照らす。そこで、歴代受賞者の有志と核兵器禁止条約の実現を訴える対話集会を開く。


《出席予定の受賞者と団体》

ミハイル・ゴルバチョフ氏
元ソ連大統領=1990年受賞

 1931年生まれ。1985年、ソ連共産党書記長。米国と戦略兵器削減条約(START1)を調印し、東欧諸国の民主化を容認。東西冷戦後の1989年から旧ソ連が崩壊した1991年まで大統領。核兵器全廃の合意寸前まで達した86年の米ソ首脳会談は、後にオバマ大統領が「核兵器のない世界」を唱える基礎となった。

ダライ・ラマ14世
チベット仏教最高指導者=1989年受賞

 1935年生まれ。2歳の時にダライ・ラマ13世の「転生者」と認定され、1940年に即位した。中国人民解放軍の進駐に対して僧侶たちが抵抗したチベット動乱の最中の1959年、インドへ亡命。以来インド北部の亡命政権の政治、宗教指導者として、非暴力によるチベットの自治政府樹立運動をけん引している。

レフ・ワレサ氏
元ポーランド大統領=1983年受賞

 1943年生まれ。1967年、グダニスクのレーニン造船所に電気工として就職。全国規模のストライキを主導し、1980年に自主管理労組「連帯」議長。翌年の戒厳令で組織が非合法化され、自身も約1年間身柄を拘束された。1989年、同国初の自由選挙で「連帯」が圧勝し非共産主義政権を樹立。1990~95年、大統領。

メイリード・マグアイア氏
北アイルランドの平和運動家=1976年受賞

 1944年生まれ。北アイルランド紛争の中で、妹の子どもたちが事故死したのを機に平和運動を志す。1976年、紛争の平和的解決を目指し「ピース・ピープル」を創設した。パレスチナ問題でも積極的に活動。今年6月、ガザに向かう国際支援船に乗船中、拘束され、イスラエル政府から国外退去処分を受けた。

ムハンマド・エルバラダイ氏
前IAEA事務局長=2005年受賞

 1942年、カイロ生まれ。米国の大学で国際法の博士号を取得した。1964年、エジプト外務省入省。1984年、国際原子力機関(IAEA)に移りニューヨーク常駐代表。1997~09年、事務局長を務めた。イラク戦争開戦前の大量破壊兵器疑惑に対する査察、北朝鮮やイランの核問題などを通して核不拡散に取り組んだ。

シリン・エバディ氏
イランの人権活動家=2003年受賞

 1947年生まれ。1975年、テヘラン大で法律学の博士号取得。同国で女性初の裁判官となる。1979年のイラン・イスラム革命で女性を理由に事務職に降格される。1992年、弁護士に転身。民主主義、女性と子どもの人権擁護に力を注ぐ。平和賞のメダルを一時押収されるなど、イラン政府から圧力を受けている。

ジョディ・ウィリアムズ氏
米国の地雷禁止運動家=1997年受賞

 1950年生まれ。大学卒業後、米国の対中米政策に反対し、エルサルバドルの人道支援運動などに参加。1992年、「地雷禁止国際キャンペーン」を設立。1997年12月に調印された対人地雷禁止条約の成立の立役者となる。同条約を実現させた経験を基に、核兵器禁止条約の推進についても積極的に発言している。

フレデリク・デクラーク氏
元南アフリカ共和国大統領=1993年受賞

 1936年生まれ。1972年、国会議員に当選。1989~96年、大統領。アパルトヘイト(人種隔離)政策に抵抗し逮捕されたネルソン・マンデラ氏を1990年に釈放し、同氏と一緒に平和賞を受けた。同国が原爆6個を製造して後に解体していたことを、1993年に公表した。退任後の1997年、広島市を訪れ核兵器廃絶を訴えた。

気候変動に関する政府間パネル(スイス・ジュネーブ)
=2007年、気候変動問題への取り組みや啓発。
国際原子力機関(IAEA、ウィーン)
=2005年、原子力の軍事利用防止と平和利用の促進。
国際連合(米ニューヨーク)
=2001年、秩序ある平和な世界への貢献。
国境なき医師団(ジュネーブ)
=1999年、難民や戦争被害者への医療支援活動。
パグウォッシュ会議(ローマなど)
=1995年、科学者の立場から核兵器廃絶へ努力。
核戦争防止国際医師会議(IPPNW、米サマービル)
=1985年、核戦争の医学的な影響の研究や教育活動。
国連難民高等弁務官事務所(ジュネーブ)
=1981年、1954年、難民保護を通じての人道援助活動。
アムネスティ・インターナショナル(ロンドン)
=1977年、不当逮捕された「良心の囚人」の人権擁護。
国際労働機関(ILO、ジュネーブ)
=1969年、労働条件の向上や労働者保護。
赤十字国際委員会(ICRC)
国際赤十字・赤新月社連盟(ジュネーブ)
=1963年、紛争被害者の保護や医療救援で同時受賞。ICRCは1917年、44年も受賞。
米国フレンズ奉仕委員会(米フィラデルフィア)
=1947年、各地での戦争難民の支援と戦後復興支援。
国際平和ビューロー(ジュネーブ)
=1910年、軍縮と国際法強化、紛争解決への貢献。

※団体名、本部所在地、受賞年、受賞理由の順


<各セッションと主な出席予定者>

     セッション名 =出席予定者=
12日 オープニングスピーチなど=ノーベル平和賞受賞者8人ほか=
     ヒロシマの遺産=ゴルバチョフ元ソ連大統領ほか=
     安全保障に核兵器は必要か?=エルバラダイ前IAEA事務局長ほか=
     核兵器の脅威:地域紛争、テロ、誤使用=デクラーク元南ア大統領、ワレサ元ポーランド
     大統領ほか=
13日 核兵器のない世界に向けての進展=ジョディ・ウィリアムズ氏、秋葉忠利市長ほか=
     核兵器使用が与える影響=ダライ・ラマ14世、湯崎英彦知事ほか=
     核兵器が持つ法的、倫理的、経済的意味合い=シリン・エバディ氏ほか=

(2010年11月4日朝刊掲載)

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