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社説・コラム

社説 終戦の日 「知る、伝える」原点に

 命を落とした戦友たちが枕元に立つそうだ。境港市出身で、92歳にして自伝的漫画を連載中の水木しげるさん。太平洋戦争の激戦地ラバウルで米軍の爆撃を受け、左腕を失う。

 著書の一場面が印象に残る。命からがら戦闘から逃げ帰ったのに中隊長から「みんなが死んだんだから、お前も死ね」と、平然と言われる―。こうした等身大の体験を数々の作品に反映させてきた。戦死者の無念が自分に描かせるのだ、と。

 きょう終戦の日。集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、安全保障政策の行方が不透明になっている。だからこそ、戦争の本質を直視し、日本人がどんな惨禍を経験した上で不戦の誓いに至ったのかを立ち止まって考えることから始めたい。

 その視座をどこに置けばいいのだろう。もちろん戦争の全体像を捉えた大局的な議論も必要となる。しかし何より重きを置くべきは「聖戦」の名の下に戦場に送られ、また国内にいても被害に巻き込まれた庶民のつらく悲しい記憶ではないか。

 かつては誰もが肌で感じたはずの戦争の不条理と、非情さ。それを若い世代が知り、未来へ伝える意味はかつてなく重い。戦争と聞いてもぴんとこない。殺し殺される恐ろしさを自分に引きつけて考えられない。そんな感覚が、今や普通になっているからだ。前途ある若者を死なせるのを前提にした日本の特攻作戦を、ことさら再評価する向きがあるのも気になる。

 ただ被爆者の平均年齢が80歳に迫ったのと同じく、戦争を見聞きした人の老いは進む。とりわけ水木さんのように戦場の体験を語れる元兵士は若くても90歳近くだろう。各地の戦友会なども相次いで解散している。おじいちゃん、おばあちゃんから簡単に話を聞ける。そんな時代は過ぎ去りつつあるのか。

 来年は敗戦70年。このまま日本人から戦争の記憶が失われていいわけはない。私たちが暮らす地域に戦争が何をもたらし、どんな爪痕を残したのか、一から見つめ直すべきだ。

 例えば、なし崩し的に民間人が巻き込まれた事例に「戦時徴用船」がある。海運会社の持ち船だけでなく瀬戸内海などの漁船に至るまで民間船が南方などの激戦地に送り込まれ、1万5千隻以上が船員とともに波間に消えたとされる。

 海運を生業とした広島県の大崎上島では、丈夫で速そうな機帆船を陸軍の担当者が見かけるたび「問答無用」で船員ごと即時徴用を命じたと聞く。島ぐるみの悲劇ともいえるが、地元で語られることは少ない。

 戦争の果てに多くの住民が命を落としたという点で、米軍の空襲に目を向けるのは言うまでもない。だが広島・長崎の原爆ですら全容の把握には程遠い。ましてや「一般戦災」と呼ばれる各地の軍需工場や都市への爆撃は、公式な実態調査が途絶えたままの地域も目立つ。

 自治体の役割は当然大きくなる。新たな聞き取りや資料調査だけでなく、既に亡くなった人の証言や手記を集大成する手法もある。年を追って姿を消す軍の遺構など戦争遺跡については文化財指定を含む保存の手を積極的に打ってほしい。

 さまざまな形で地域に眠る記憶を掘り起こし、共有していく営みに今こそ踏み出したい。

(2014年8月15日朝刊掲載)

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