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社説・コラム

『言』 奥底の思い 伝えるために

◆島言葉の復権 琉球方言研究者・生塩睦子さん

 広島経済大名誉教授で琉球方言研究者、生塩睦子さん(73)が沖縄県伊江島へ調査に通って50年になる。悲惨な沖縄戦に続いて米軍の土地接収を経験した離島が標準語の波に洗われる時代に思い立ち、辞典編さんや教材作りにいそしんできた。「心の奥底の思いを表現するのは島言葉(シマクトゥバ)しかない」と考える生塩さんに聞いた。(聞き手は論説副主幹・佐田尾信作、写真・福井宏史)

 ―50年前といえば、沖縄は「祖国復帰」に向かう激動の時代です。単身渡ったのですか。
 そうです。もともと標準語アクセントを研究していましたが、著名な言語学者服部四郎氏の「今記録しておかないと、琉球方言はアイヌ語のように消滅してしまう」という文章を読んで衝撃を受けました。サンゴ礁地形の研究者だった兄武永健一郎の影響もあって、とにかく沖縄へ、と思い立ったのです。

 ―服部氏の研究仲間、仲宗根政善(せいぜん)氏に教えを請うのですね。
 自分の言葉と大きく違う琉球方言を一介の学生が記録するには、首里方言の「沖縄語辞典」を手に、沖縄本島北部・今帰仁(なきじん)村出身で琉球大教授だった仲宗根先生の指導を仰ぐことが必須でした。同じ北部の伊江島との縁はそこから始まったのです。

 ―そのまま今日まで島に通うことになる理由は何ですか。
 調査を始めて、悲惨を極めた沖縄戦の縮図、と呼ばれる島だったことを知りました。私が生まれ育ったのは広島市内の爆心地に近い国泰寺町。幸い一家で旧満州(中国東北部)に渡っていて命を拾った私が、この島と出会ったのは宿縁のような気がしました。そして今に至るのはイージマグチ(伊江島方言)へのいとおしさからでしょう。

 ―イージマグチもまた、消滅の危機にあったのですね。
 そうです。戦世(いくさゆ)には住民が慶良間諸島などに集団疎開する苦労を強いられ、帰ってみれば「標準語励行」が進む時代です。初めて渡った時、標準語を話しましょう、という貼り紙を島のあちこちで見掛け、表彰制度までありました。70代半ば以上の方なら、方言を使った罰に下げさせられる「方言札」を経験しています。

 ―琉球が明治国家に組み込まれると同時に、言語までも。
 琉球方言は本土方言とともに日本語を二分しますが、差異は極めて大きい。標準語は東京山の手の言葉がモデルです。琉球方言を話す人がそれを学ぶことは、自分の言葉を捨てて乗り換えることになってしまう。

 最初は一人で民家を訪ねると、よく追い返されました。イージマグチは使うな、という運動のさなかですから当然ですよね。でも文化は継承されてきました。国重要無形民俗文化財の「伊江島の村踊」は字の輪番で演じられてきたのです。

 ―方言と同じく琉球の中でも独特の芸能があるのですね。
 近世には、遥任(ようにん)の領主(首里勤め)が王府から江戸や薩摩へ重要な旅役を仰せつかった際には、その都度伊江島の青年を随行し、1、2年滞在させて文物や芸能に触れさせました。それが独特の村踊を生み、戦世も乗り越えてきたのに、近年存続が危うくなったのです。

 ―そこで自分にもできることはないかと考えたのですか。
 語彙(ごい)は1万語集め、「沖縄伊江島方言辞典」を1999年に伊江村から出してもらいました。次いで文法書を書き始めていたのですが、教材作りが先だと気付き、かるた、民話、五十音表を作りました。今はことわざをまとめているところです。

 ―8年前、沖縄県が9月18日を「しまくとぅばの日」に定めたのも危機感の表れですか。
 伊江村でも4年前、議会一般質問で取り上げられた。ただ、言葉は移ろうものです。イージマグチ交じりの標準語でも、どんどん使ってほしい。若者の間違った方言の使い方も大目に見て、というのが私の思いです。

 ―米軍基地の重圧が今なお続きますが、言葉という文化の根っこは枯れていませんね。
 伊江島に「スィマパンク ナーティティ」という言い伝えがあります。スィマパンクは海のカマキリと呼ばれる小動物。小さき者にも得手がある、ばかにするな、とでも意訳しましょうか。そんな命もいとおしむ心を方言は育ててきたと思います。

おしお・むつこ
 広島市中区生まれ。44年一家で旧満州に渡り、46年引き揚げ。広島大大学院文学研究科修士課程修了。在学中、琉球大研究生として1年留学。沖縄県伊江村名誉村民。広島市東区在住。師の仲宗根政善氏は、ひめゆり学徒隊の引率教員。沖縄戦の痛恨の体験から、手記「沖縄の悲劇」や日記「ひめゆりの塔の記」を残した。

伊江島方言の特徴
 喉を詰めて発する咽頭化音が非常に発達し、例えば「おまえ・君」は「ッラー」となる。日本語の方言の中で最も音節(発音の最小単位)の数が多く、「シ」と「スィ」、「ジ」と「ズィ」ははっきり区別されている。

(2014年8月13日朝刊掲載)

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