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戦後69年 きょう広島原爆の日 被爆体験 言霊に込め 生きた証言若き伝承者に

 広島は六日、政府が憲法解釈による集団的自衛権の行使容認を閣議決定してから初めての「原爆の日」を迎える。戦後六十九年続いた日本の平和主義が脅かされる中、広島では高齢化のため年々少なくなる被爆者の記憶と平和への思いを語り継ぐ伝承者の養成が始まっている。(社会部・中崎裕、写真も)

 「昼間なのに真っ暗だった。家が倒れた道なき道を歩くと、『助けてー』と叫び声がそこかしこから聞こえてきた」。爆心地から一・三キロの国民学校で被爆した北川建次さん(79)=広島市佐伯区=が、あの日の記憶をとつとつと語る。北川さんの記憶を受け継ぐ伝承者候補三人が耳を傾ける。

 その一人、マンドリン演奏家の佐古季暢子(きょうこ)さん(29)=同市東区=は広島で原爆の歴史を学び育った。演奏活動で各地をめぐるたびに原爆を語ってきたが「二世でもないのに語る権利があるのか」との思いをぬぐえずにいた。

 昨春にドイツ留学から帰り、伝承者養成事業を知った。その秋から体験を聞いたり、話法を学んだりしてきた。今も自分が被爆者の思いを伝えることができるのかという迷いは消えないが「それを言ったら誰も受け継げない」と前を向く。

 長崎の原爆と合わせ、ピーク時に全国で三十七万人いた被爆者は二十万人を切り、平均年齢も八十歳近い。広島では原爆の風化を懸念する声がある。

 被爆三世の会社員、保田麻友さん(29)=同市南区=も伝承者に名乗りを上げた一人だが、「どう伝えたらいいか。今は言葉を伝える難しさを感じている」と話す。保田さんに思いを託す新井俊一郎さん(82)=同区=は「言葉はすぐに消える。魂のこもった『言霊(ことだま)』でないと染み込まない」と励ます。

 新井さんが、本格的に被爆体験を語り始めたのは三年前の福島第一原発事故のころ。「原爆のときと同じ。人間は今も核に無力だ」。その後も特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の行使容認が続き「秘密を守れ、国を愛せ。戦争はすべて自衛と言って始まる。私が軍国少年だった時代に似てきている」との危機感を一層抱くようになった。語り部を引き継ぐ保田さんは「戦争を再度選んだら、政治家を選んだ私たちの責任だから」と言い、被爆者の思いを伝えていく。

<広島市の伝承者養成事業>
 体験を語る被爆者が減っていく中、証言を受け継いで語る人を育成しようと2012年に始まった。3年かけて原爆被害の実相や話法などを学ぶほか、受け継ぐ証言者を決めて話を聞き、伝わる語り方を練る。1期生は108人、昨年度の2期生は54人で、全国から集まった20~70代の男女が受講している。

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