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被爆体験 次世代へ引き継ぐ 広島 原さん「体が動く限り」

語り部の覚悟 進む高齢化 増える証言活動

 広島市内の被爆者団体による体験を伝える活動数が近年、高い水準で推移している。19団体でつくる「被爆体験証言者交流の集い」は2013年度、計2623回を数え、20年前に比べ4割(約千回)増えた。同市の被爆者の平均年齢は78・93歳と高齢化が進むが、「次世代に伝えたい」の思いが支えている。(斉藤正志、田中宏樹)

 交流の集いは、広島平和文化センター(同市)が事務局を務める。市内外での証言活動は11年度に過去最高の2949回に上り、12年度も2900回を超えた。がん手術を経て病気を抱えながら語る人も多いという。

 また広島平和記念資料館は被爆者44人を証言者として委嘱。平均年齢81歳だが、年間活動数は約1500回に上る。同館啓発課は「被爆者が少なくなり、いま聞いておかなければと思う人も多いのではないか」とする。

 神戸で体験を語り続ける「神戸市原爆被害者の会」も会員数がピーク時の約4割まで減り、3月末で644人。そのうち約590人の被爆者の平均年齢は80歳を超す。立川重則会長(70)=同市灘区備後町=は「息子や娘ら『被爆2世』に、体験をいかに引き継ぐかも大切だ」と話した。

 「今から話すことをあなたたちが聞けるのは、最初で最後になるかもしれません。しっかり聞きなさい」

 広島市安芸区の被爆者、原広司(ひろし)さん(82)は子どもらに体験を話す時、こう切り出す。1984年から証言を始め、今年で30年。広島市を中心に、兵庫県、北海道、静岡県など各地で講演し、延べ約17万人に語ってきた。

 69年前の8月6日、13歳だった原さんは、広島市の南に浮かぶ江田島にいて原子雲を見た。翌7日、中学校に登校するため海路で同市へ。港には、全身が焼けただれて皮膚が垂れ下がり、男女も分からない人が大勢いた。川には、黒焦げや腹が大きく膨れた遺体が無数に流れていた。

 爆心地から約2キロの学校は倒壊し、建物疎開中の生徒187人と教員3人が死んだことを先生に告げられた。

 街中に遺体を焼く臭いが漂い、物のように人を積み上げて燃やしている光景を見た。

 84年、ほかの被爆者と「ヒロシマを語る会」を結成。惨状を伝えてきたが、体調を崩したり亡くなったりする会員が増え、2000年に解散。01年に「被爆証言の会」を設立し、代表を務める。

 71歳の時に大腸がんが見つかり、死を覚悟したこともあった。今年に入ってからは、腰の痛みのため、外出時はつえが欠かせない。

 しかし年間70日は体験を語り、1日3度話をすることもある。「あと5年続けられるか分からない。でも体が動く限りやっていく。次の時代へバトンタッチしないといけない」

 話の最後には、決まってホワイトボードなどにこう書く。

 「平和とは 人の命を守ること 人の命を守るとは 平和を守ること」

 そして子どもたちと声を合わせて読む。次代への期待を込めながら。 (斉藤正志)

(神戸新聞8月4日朝刊社会面掲載)

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