×

ニュース

南相馬の友 復興エール 広島土砂災害 原発事故後 広島の「応援隊」と交流 

私らと同じ。少しでも力になりたい/一歩も動けなかったあの頃、そばにいてくれたから

 「私らと、同じだな」。広島市の土砂災害の報道を自身の体験と重ね合わせ、心配して見つめる人たちが福島県南相馬市にもいる。原発事故の後、仮設住宅で暮らしている被災者たちだ。いっそう気になるのは、定期的に訪問してくれる広島のボランティアの顔が浮かぶから。少しでも力になりたいと、南相馬で集めた募金が相次いで広島に届いている。復興を願うエールとともに。(平井敦子)

 福島ナンバーのワンボックスカーが、広島市中区の市社会福祉センターに到着したのは1日夕方。南相馬市の寺内塚合第2応急仮設住宅自治会長の藤島昌治さん(68)が仲間と3人で、2日がかりで運転してきた。プラスチックの容器にずっしりと詰まった募金は約23万円。「みんなが直接持ってけって言うから」と笑って、待っていた永中憲成さん(65)=広島市安佐南区=に手渡した。

 永中さんは「南相馬ボラバス応援隊」(40人)の「隊長」だ。応援隊は、名前がまだ付いていなかった2011年9月から数えると計19回、南相馬市を訪問。22カ所の仮設住宅などで、ボランティアで土日の「お茶会サロン」を開いてきた。お好み焼きを焼いたり、一緒に歌ったり。被災者の気分転換や孤立防止を願い、交流を深めてきた。

 174世帯約360人が暮らす藤島さんの仮設住宅。「これまで世話になったから」と地元のラジオでも呼び掛けてもらい、募金を集めた。取っておいた記念硬貨や昔の紙幣を差し出す高齢者もいて、「少ないですが、みんなの気持ちを実際に見てもらえたら」と、たくさんの硬貨と紙幣を持参した。

 「避難が長くなると気持ちがなえます。私たちもそうだった。だから一日も早い復興を」と藤島さんはかみしめるように話した。

 小池第3応急仮設住宅の渡部和子さん(58)からは現金書留が届いた。渡部さんはあの日、津波で家をさらわれた。だからテレビで土砂災害の報道に接するたびに思う。「これからどうしたらいいか分からない。そんな気持ちだろうなと」。心細い生活。広島のボランティアたちが笑顔で訪問を繰り返してくれるのが力になったという。「3年たってようやく落ち着いてきた。今度は私たちがお返しする番」と穏やかに語る。

 ほかにも次々とお見舞い金が送られてきている。小池第2応急仮設住宅で広島のボランティアと出会った鈴木礼子さん(55)は「私は震災で生活のすべてをなくし、声も出なくなって」と当時を振り返る。家族も一時バラバラになり、孤独だった。「いつもいらいらして、怒りばかりが湧いてきてね。脱皮しなきゃいけないと思っても、一歩も動けなかった」

 そんな頃、何となく作ったマスコットを、ボランティアとして参加している広島市社会福祉協議会福祉課長の鈴川千賀子さん(57)に渡した。「鈴川さん、涙流してくれてね。そのときは、何で泣くのかも分からなかった。後になって、優しい思いがしみてきました」

 鈴木さんは語る。「大変なときに、どんな言葉を掛けても通じない。私もそうだったから。広島で被災した方に掛ける言葉が見つからない。でも私たちには広島の方が寄り添ってくれたから、私も寄り添いたいんです」

 エールを胸に、永中さんらはいま、土砂災害の現場でボランティアとして汗を流している。募金は義援金など被災者支援に活用する。

(2014年9月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ