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13万編の被爆体験記を所蔵 追悼祈念館 有効活用を

■記者 増田咲子

 広島市中区の平和記念公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、南隣にある原爆資料館に比べ、年間来館者が約7分の1と少ない。これでは、所蔵する約13万編の被爆者の手記も十分に活用されているとは言いきれないだろう。原爆投下から65年。被爆体験の風化にあらがい、次世代へと継承していくために、祈念館はもっと役割を果たすべきではないか。

 「体中にガラス片が突き刺さり、切り裂かれ、血しぶきが出ていた」「思い出したくない。でも、戦争がどんなに悲惨か、こんな話が信じられない今の子どもたちに、どうしても知ってほしい」

朗読会200回に

 17日の追悼祈念館。朗読ボランティアの森川宏子さん(70)=広島市西区=ら3人が、神戸市から修学旅行で訪れた高和小6年生11人を前に被爆者の手記を朗読した。続いて児童も自分たちで原爆詩を読み上げた。

 「あの日」を語り継ぐ一翼にと、祈念館はこうしたボランティア朗読会を2005年度から本格的に始めた。来館者向けの月1回の定期朗読会や、学校などに出向く「出前」も含め、本年度は計200回に上る見込みだ。

 「大事な手紙を預かっているような気持ち。心を込めて読んでいる」と森川さん。3年連続で修学旅行に朗読会を組み入れたという高和小の金瀬信好校長(57)は「子どもたち自身も音読することで、原爆の悲惨さを心の中に再現しやすい」と意義や効果を話す。

 やはり朗読ボランティアの今岡祐子さん(43)=南区=は「子どもが被爆証言を直接聞くと、衝撃が強すぎる場合もある。朗読なら、やんわり、じんわりと心に響く」とみる。

 さらに祈念館は今年7月から、より多くの外国人に母国語で読んでもらおうと、体験記の多言語化にも本腰を入れている。従来の英語、中国語、韓国・朝鮮語訳にイタリア、スペイン、ドイツ、フランス、ポルトガル、ロシア、タイの各語を加えた10言語で、まず6編を公開した。岩川和行館長(62)は「世界中に核兵器廃絶を訴えるため、さらに拡大したい」と意気込む。

 それでも来館者は年20万人前後。2002年の開館以来、横ばい状態が続く。核兵器廃絶への世界的な機運が高まった2009年度も、原爆資料館が13年ぶりに140万人台に乗ったのに対し、祈念館は約21万4千人。前年度より0.3%減った。

類似性指摘も

 もともと開館時から祈念館は、資料館との類似性が指摘され、「屋上屋」と懸念されていた。例えば被爆者の証言ビデオは両館とも備えている。

 資料館について広島市は、展示内容や見学コースの大幅見直しを予定する。その計画を練る過程で、祈念館との連携についても議論した。

 まず資料館を訪れた人は、被災写真や遺品に触れて心理的な衝撃を受ける。その後、追悼空間を備えた祈念館で気持ちを和らげ、感情を整理する―。市は両館の機能分担をそう位置付け、連絡通路の整備などを検討課題としている。

「人」思う施設

 資料館の前田耕一郎館長(61)は、祈念館の前館長でもある。「遺品をはじめ『物』が中心の資料館に対し、祈念館は手記や遺影を通じ、原爆の犠牲者や遺族ら『人』を思う施設。両方を訪れてこそ、被爆の全体像が分かる」と強調する。

 さらに、被爆からの時間経過と被爆者の心情変化との関係を分析するなど、祈念館の財産である体験記を活用した調査研究テーマも提案する。

 「未曾有の体験をした被爆者が懸命につづった言葉は、核兵器は廃絶しなければならないとのヒロシマの訴えにほかならない」と舟橋喜恵広島大名誉教授(社会思想史)。朗読会の広がりを評価するとともに、被爆者の手記執筆を支援する取り組みなど、13万編の「心の声」に一層の厚みを持たせる必要性も指摘している。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
 2002年8月開館。地上1階地下2階、延べ約3千平方メートル。原爆犠牲者の「追悼空間」や体験記の閲覧室、遺影コーナーなどがある。広島平和文化センターが国から委託を受けて管理運営している。

被爆体験記の活用
 追悼祈念館が収集した約13万編の体験記の大半は閲覧室で自由に読むことができる。うち約12万編は執筆者名や被爆場所など基本情報をデータベース化し、端末20台の画面で検索できる。ただ画面上で全文を読めるのは367編にとどまる。また、体験記や朗読会の進行台本など「朗読セット」を希望者に貸し出している。

(2010年11月21日朝刊掲載)

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