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社説・コラム

社説 昭和天皇実録 歴史検証の手掛かりに

 昭和天皇の87年余りにわたる生涯をたどる公式記録である。宮内庁が「昭和天皇実録」の内容を公表した。

 編さんに24年を要した実録は61冊、計約1万2千ページに上る。広島への原爆投下の報告を受けたときの様子も書かれている。

 研究者の間では、「通説を覆すような新事実はない」との見方が多いようだ。

 だが、これまで知られていなかった資料の存在を明らかにしたことは成果といえよう。悲惨な戦争をくぐった昭和史の研究を進める契機にしたい。

 宮内庁によると、基にした資料は3100件余り。そのうち約40件が新たに見つけた資料だという。大学などの研究者の調査だけでは発掘が難しかったものも含まれていよう。

 例えば、今回、存在が判明した百武三郎侍従長の日記だ。これを基に、昭和天皇が1939年に「皇室に関することは何も批評論議せず、万事を可とするがごとき進講は、聴講しても何の役にも立たず」と述べたと、実録は記している。天皇を絶対的なものとする考え方を疑問視していたと受け取れる。

 さらに実録は、非公開の「侍従日誌」からも引用している。36年の二・二六事件については天皇と本庄繁侍従武官長、川島義之陸相との正確な面会時刻が記録され、事件当時の動きがより鮮明に浮かび上がった。

 これらの詳細な事柄が実録には収められている一方、記述の仕方には気になる点もある。すでに公開済みの側近の日誌などで明らかになっている天皇の発言を、あえてぼかしているのではないか。そう感じる箇所がいくつもあることだ。

 その一つが、太平洋戦争開戦後の42年の伊勢神宮参拝をめぐる記述である。側近の日誌によると、天皇は「戦勝祈願をした」と戦後に振り返ったとされている。これに対し、実録は「平和の到来を祈念した」とつづられている。

 宮内庁は資料の内容を精査したと説明する。しかし、なぜ表現を変えたのかという具体的な根拠は示していない。

 一方、天皇が連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥との会見で戦争責任に触れたとされる発言については、外務省などの記録にはないとして、マッカーサーの回想記からの引用にとどめている。

 昭和史の記録をきちんと残し、後世に伝えていくことを決しておろそかにしてはならない。かつて日本はなぜ戦争に突き進んだのか。その歴史を検証し続ける作業こそ、二度と戦争はしないという不戦の誓いにつながろう。

 歴史認識の問題について、安倍晋三首相は「歴史家や専門家に委ねることが適当だ」との考えを示している。そのためには歴史的な資料が公開されていることが前提になる。

 ともすれば宮内庁の見方に縛られた実録だけに頼らず、ほかの資料を含めたより深い歴史の検証が必要なのは当然だ。とりわけ実録をまとめるために収集した依拠資料は、研究者の重要な手掛かりになろう。

 それらの資料は未公開のものも少なくない。私的な文書などが含まれているのは理解できる。ただ昭和史研究の観点から、可能な限り資料を公開できる体制を整えていくべきだ。

(2014年9月10日朝刊掲載)

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