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社説・コラム

社説 政府事故調の調書公開 福島の教訓 生かさねば

 東日本大震災から3年半のきのう、政府は東京電力福島第1原発事故と直後の対応をめぐり計19人の証言を公開した。

 第1原発の所長として対応を陣頭指揮した故吉田昌郎氏や首相だった菅直人氏ら、政府の事故調査・検証委員会によるヒアリング内容をまとめた調書だ。

 吉田氏の調書には「死を覚悟した」というくだりがあり、極限状況があらためて伝わってくる。そうした事故経過と対応を検証し、国を挙げて教訓を共有することが、調書を公開する意味にほかなるまい。

 政府事故調が聴取した関係者は772人に上り、今回の公表分はごく一部にすぎない。当時の民主党政権の主な閣僚は名を連ねるものの、いわゆる「原子力ムラ」の関係者は少ない。

 あれだけの事故だ。周辺住民に長期の避難を強いてもなお、飛び散った大量の放射性物質が完全に除去できるめどは立っていない。今後も東電幹部らの証言をはじめ、できるだけ多くを公開することが、再発防止に向けた政府の責務ではないか。

 むろん、個人レベルでの責任追及の材料にしてはなるまい。また、危機管理が極めてお粗末だった当時の民主党政権とは違うからといって、それが原発再稼働を後押しするお墨付きにはならないことを、安倍政権は肝に銘じてもらいたい。

 今回の事故の最大のポイントは、津波の襲来や全電源喪失を事前に想定せず、その結果、水素爆発や炉心溶融といった緊急事態への対応が後手に回ってしまったことだ。

 例えば、原子炉の格納容器から蒸気を放出して容器内の圧力を下げるベント作業にしても、電動弁は停電のため動かず、手動弁を操作しようにも放射線量が高くて近づけない。吉田氏は証言の中で、当時のいら立ちを隠そうともしない。

 そうした悪戦苦闘などお構いなしとばかりに、菅氏はヘリコプターで第1原発に乗り込んでいる。その後も首相官邸から直接の電話がたびたび入り、質問への回答や状況説明を求められたと吉田氏は証言している。

 一方、菅氏は「現場からの情報が一向に入らなかった」とする。居ても立ってもいられないとの思いは分からなくもない。

 とはいえ、現場と官邸のコミュニケーションのまずさを、人ごとのように語ってもらっても困る。迅速で的確な情報伝達こそ危機管理の要であることを考えれば、連絡役の機能を果たせなかった東電本社や当時の経済産業省原子力安全・保安院の組織としての責任も免れまい。

 吉田氏は水素爆発を想定していなかったことは自戒を込めて反省する半面、津波対策については「何の根拠もないことで(防潮堤などの)対策はできません」などと、企業の論理で反論している。

 吉田氏はがんが見つかり、昨年死去した。自らの調書の公開は望んでいなかったというが、それは特定個人を攻撃する事態となっては本末転倒だという危機感ゆえではあるまいか。

 大津波は来ないという「安全神話」づくりは、特定の誰かではなく、原子力ムラの関係者がこぞって加担した―。原発に依存してきたこの国の来し方を謙虚に振り返ることが、福島の事故を国民的な教訓とする第一歩に違いない。

(2014年9月12日朝刊掲載)

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