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社説・コラム

天風録 「笹本恒子、昭和の薫り」

 好きなたばこをくわえてご機嫌とみえる。写真嫌いの井伏鱒二が兵児(へこ)帯にげた履き姿で庭に水をまいている。宇野千代は小紋に身を包み、正座で鉛筆を握る。つむぎの単衣(ひとえ)の杉村春子は居間の隅で針仕事をしている▲100歳の写真家笹本恒子さんの作品展が広島市の福屋八丁堀本店で始まっている。名のある文化人や政治家を自宅に訪ね、とらえた素顔を「ふだん着の肖像」と呼ぶ。過ぎし昭和の時代が薫ってくるのはなぜだろう▲畳や縁側など、モノクロ画面に写し込まれた「装い」のなせる業かもしれない。とりわけ着物姿が目立っている。世界王者となったプロボクサー白井義男も、かすりを着こなす。襟元やたもとには、えも言われぬ風情がたゆたう▲公にされた昭和天皇実録とは違う、もうひとつの昭和史だろう。焼け跡に物売りの屋台を出し、時には街頭デモに立った、名もなき人々の汗や涙もファインダー越しに見守ってきた。思い出を誘われたのか、2、3人連れの鑑賞客が話し込んでいた▲撮りたい相手はぴんとくるという。最新作は、同じ反戦主義で99歳のジャーナリストむのたけじさん。眼鏡にかなった政治家はなぜか、ほんの一握りにすぎない。

(2014年9月13日朝刊掲載)

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