×

社説・コラム

『言』 被災体験の伝承 身近な人の話から「口碑」を

◆作家・編集者 畑中章宏さん

 東日本大震災から土石流、火山噴火まで、多くの人命を奪う災害が相次ぐ。私たちはどう乗り越え、伝えればよいだろう。69年前、おびただしい数の死者を出して戦争が終わった時、民俗学者柳田国男は、国の再生には固有の死生観を取り戻すべきだと説いた。この提言を軸に、作家・編集者の畑中章宏さん(51)は近著「先祖と日本人」で戦後と「災後」の鎮魂のありようを考察する。繰り返される痛みにどう対処すべきか聞いた。(聞き手は論説委員・田原直樹、写真・高橋洋史)

  ―なぜ今、柳田国男に着目したのですか。
 3・11後、死者や被害などの数値が連日報道され、科学的な検証や議論が盛んでしたが、やがて少し違和感を覚えました。明治三陸地震の二十数年後に、柳田は津波被害の記憶が忘れ去られているのを嘆くのですが、経済面や物質的な復興に傾注するのでは、本質的な部分が後世に伝わらないという懸念でしょう。それは現代にも当てはまるのではないか。ひどい災害の後こそ、民俗学的なものを顧みる重要性を感じます。

    ◇

  ―民俗学的なもの、ですか。
 日本人にとって魂や故郷とは何か。精神性をあらためて見つめることです。もちろん防潮堤を築いたり、高台移転を進めたりといった理工系の学問が持つ即効性はありません。

 しかし柳田は太平洋戦争の空襲下につづって戦後発表した「先祖の話」で、手厚い鎮魂と死者の志を継ぐことこそ日本再生の基盤となり、民族の自然と調和した新しい社会が構築できると述べます。残念ながらほとんど顧みられぬまま、戦後日本は経済成長を果たしてしまった。核家族化が進み、共同体も失われています。

  ―先人たちは死者の魂や先祖とどう向き合ったのでしょう。
 現代人は科学的なデータや数値から解決策と安心が得られると思い込んでいるが、そう単純ではない。やり場のない感情や後悔の念を抱えるでしょう。古来、日本人は目の前の現実とは別に、妖怪などのすむ世界があると考えましたが、妖怪の中に災害で死んだ者の無念を伝えるものもつくりあげたようです。二つの世界を行き来し、死者の魂や先祖と密接に関わりを持ったのです。

  ―著書では被爆地広島の鎮魂も取り上げていますね。
 原爆をめぐる思想、建築、芸術、漫画などには魂や故郷について民俗学的な思索と表現を宿したものが多い。広島市出身の思想史家橋川文三は、戦後の鎮魂のありようや故郷観を考察しました。盆灯籠の火に英霊出迎えの記憶を重ね、虚無感をつづる随筆もあります。

    ◇

  ―建築で注目されるのは。
 丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」に触発されて、白井晟一が作品の美術館として設計した「原爆堂」です。死者の鎮魂と再生のシンボルにという願いがある。池の中に円筒が立ち、上に四角い展示室を造る。地下から上る構造で胎内くぐりのイメージとも、原子炉を思わせるともいわれる。建設は実現しなかったが、設計思想は今も私たちに核を考えるきっかけを投げかけます。

  ―被爆者は減る一方です。
 原爆の体験もそうですが、70年前の日本人は皆、戦争を体験した。その継承が瀬戸際にある。その意味で、この国はまもなく大きな節目を迎えます。戦争を生きた庶民の体験の収集や蓄積を急がねばなりません。現代の災害も同じでしょう。東日本大震災ほどの規模でなくとも年々、各地で被災者は出ているわけですから。

  ―戦争や災害を伝承するうえでも重要な視点ですね。
 かつて東北では石碑に大津波の警告を刻んだが、忘れられ生かされなかった。親から子への口伝えや共同体内の伝承による「口碑」の方が体に染み込み、生き続けるのではないか。祖父母や高齢者の戦争や災害の体験を、口碑として持つべきです。

  ―それには私たちは何をしたらいいのでしょう。
 各地の災害に心を寄り添わせ忘れないように、身近な人の話を聞くことだと思います。時間的には、自分の祖父母や先祖を知る。空間的には、友人や同僚の故郷や家族について聞き、語り合う。そうすれば歴史や地理に視野が広がるはずです。災害時に思いを寄せ、長く記憶する力につながるのではないでしょうか。

はたなか・あきひろ
 大阪市東住吉区生まれ。近畿大法学部卒。出版社勤務などを経て、民俗学的なアプローチで著述活動に。少年期から神社仏閣巡りを趣味とした。著書に「災害と妖怪」「津波と観音」など。「先祖と日本人 戦後と災後のフォークロア」は日本評論社刊。多摩美術大芸術人類学研究所特別研究員、日本大芸術学部講師。東京都中央区在住。

(2014年10月1日朝刊掲載)

年別アーカイブ