×

社説・コラム

『潮流』 「雨傘の花」の憂い

■平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 道路を埋め尽くした人々、その中に咲いた色とりどりの花―。そう見えたのは、民主化を求める香港のデモ隊のニュース映像だった。催涙ガスを浴びないよう、学生らが雨傘を差していたのだ。

 身を守るための道具が傘なら、異論を唱える人は少なかろう。むしろ、もし自分がその場にいたら同じことをしていたかもしれない。

 しかし、同じ傘でも「核兵器」ならどうだろう。たとえ「身を守るため」と言っても、賛同は広がるまい。まして実際に使われたら、どうなるか。身をもって知る被爆地広島は、二度と使うなと世界に訴え続けてきた。

 「テロリストなど国家ではない集団に核兵器という『けん制』は通じない。国家同士の紛争の抑止力としても危険すぎる存在となった」

 2007、08年、米国の元国務長官ら4人が新聞紙上で「核兵器のない世界」を呼びかけ、大きな反響を呼んだ。賛同者の一人が当時、同僚記者のインタビューに答え、そんな危機感を示している。

 「イスラム国」やウクライナ情勢を見ると、その時より状況は悪化しているようだ。

 ならば、なおのこと、広島・長崎の重みは増すのではないか。「核の傘」の要らない地域や世界を目指し、長崎大などは、北東アジア非核化構想の議論を深めている。米国の「核の傘」に頼る被爆国政府の姿勢を変えていくには、被爆地の力が不可欠だろう。

 年末には、核兵器の非人道性をテーマにした国際会議が、オーストリア・ウィーンで開かれる。核兵器がいかに非人道的か、被爆地がずっと訴えてきたことが、国際政治を動かし、核なき世界への道を開くかもしれない。

 香港の学生らを動かしたのはきっと、将来への深い憂いだろう。危機感の強さでは、ヒロシマも負けていない。被爆の惨状や、思いをさらに世界に発信していきたい。

(2014年10月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ