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「ビキニ」での調査報告 福島の大学生ら 被曝地の課題議論

 ビキニ水爆実験で核被害に遭った中部太平洋マーシャル諸島を訪れた福島市のジャーナリストや大学生たちの研究グループによる調査報告会が5日、同市内であった。残留放射線への懸念から避難を強いられる元島民と福島第1原発事故後の現状を重ね、被曝(ひばく)地に共通する課題や復興への道筋を議論した。

 メンバー6人は2月下旬から10日間、首都マジュロなどに滞在。ビキニ水爆実験から60年を経ても避難を続ける元島民と交流し、現地の学校で原発事故やその後の避難生活を伝えた。

 福島第1原発が立地する福島県大熊町出身でもある福島大4年高橋恵子さん(21)は「元島民は、自らをサバイバー(生き抜いた人)と名乗っていた。私たちにも前向きな言葉が必要だ」と強調。除染作業が終わり帰島するかどうかの岐路にある元島民の心情を「いずれは私たちの問題になる。学ぶべきことが多くある」と振り返った。

 帰国後に福島大大学院を修了し、県内の小学校教諭となった佐藤甲斐さん(26)は、ホームステイの体験などから「家庭教育で当事者性を深めることは大切」と指摘。また、元島民が被曝の体験を明るい歌や踊りにしている点を踏まえて「悲劇の共有の方法も多様。次世代へのつなぎ方を考える参考になった」と述べた。

 研究プロジェクトはトヨタ財団(東京)が助成し、来年10月末まで続く。代表者のフリージャーナリスト藍原寛子さん(47)は「来年は元島民を福島市に招き、原発事故の被災者と交流したい。一緒に被爆地の広島を訪れることも考えている」と話している。(藤村潤平)

マーシャル諸島での核実験
 米国は1946~58年、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁などで67回の原水爆実験をした。特に54年3月1日の水爆実験「ブラボー」は、爆発力が広島原爆の約千倍の15メガトンで、大量の放射性降下物「死の灰」をまき散らした。周辺の島民には事前の避難勧告などなく被曝(ひばく)。洋上にいた第五福竜丸など日本のマグロ漁船も被曝した。

(2014年10月6日朝刊掲載)

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