×

ニュース

被爆くぎ 異国で語り部 広島県坂出身の横地さん 原爆資料館に寄贈

 広島県坂町出身の被爆者で、ポルトガル水泳代表チームの元監督、横地森太郎さん(78)=リスボン在住=が9日、原爆の熱線で溶けたくぎの塊を広島市中区の原爆資料館に寄贈した。造船職人だった父があの日、舟入幸町(現中区)で拾った和船用とみられる。約半世紀、異国で被爆の実態を伝えるのに役立ててきたが、「非戦の思いを広めたい」と被爆地に託した。

 鉄製で長さ約15センチの3本が溶け、一つに固まっている。父の忠行さんが1945年8月6日、仲間を助けようと坂町の自宅から舟入幸町の造船組合へ駆け付けた際に見つけた。くぎを納めた箱には、母ふさみさんが「原爆の爪痕」と書いた紙を張り付けていたという。今は破れて「原爆」の文字だけが残る。

 「父は酒に酔うと、あの日の惨状を話していた」と横地さんは振り返る。自身も原爆投下3日後に坂町から入市して被爆。修道高、早稲田大で自由形の選手として活躍し、日本水泳連盟の推薦でポルトガルに指導者として渡った58年以降、五輪の監督や陸軍士官学校の教官を務めた。63年に父が57歳で亡くなり、「被爆くぎ」を受け継いだ。被爆地から遠く離れた地で教え子たちにくぎを見せ、体験を語ってきた。

 健康診断のため来日したのに合わせ、この日、妻イルマさん(73)と資料館を訪問。学芸員に箱ごと手渡した。「家族を犠牲にしてまで戦争したい人はいない。平和の在り方を考える材料になればうれしい」と願っていた。(田中美千子)

(2014年10月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ