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連載・特集

緑地帯 私とクルドとイラク 玉本英子 <2>

 アムステルダムのクルドカフェで、私はテレビのニュース映像で見た、焼身決起をしたクルド人男性と出会った。やけどで赤くただれた顔。握手をすると手は冷たく、力はなかった。

 彼の名はムスリムといった。私は向かいに座り、恐る恐る「なぜ、焼身決起なんてしたのですか」と尋ねた。「あんたは私の故郷で何が起きたのか知っているのか? もし知れば、同じことをするはずさ」。喉も焼けた彼は、か細い声でそう答えた。「もし知れば」。その言葉に背を押され、私は彼の故郷であるトルコ南東部へ向かった。

 1990年代前半、トルコではクルド独立を目指すゲリラ闘争が広がり、協力者への軍や警察による投獄や拷問が続いていた。現地で人づてに出会ったパン屋の主人は、電気拷問の苦痛を語り、ゲリラをかくまったとして家を焼かれた女性は、息子が軍に連行されて行方が分からないと泣き崩れた。

 当時、トルコでは公の場でのクルド語の使用は許されず、民族の文化や権利を主張する者は徹底的に弾圧された。だからこそ、ゲリラへの支持があった。

 しかし、国際社会の大勢はゲリラの行動を「テロ」と断じ、その背景を見ようとはしなかった。ムスリムさんは焼身決起という形で、クルド人の怒りや苦しみを世界に訴えようとしたのだ。

 何の経験もない私だったが、「記録して、伝えないと」と感じた。トルコでは、発表のあてもなく、メモをとり、写真を撮り、家庭用ビデオカメラを回した。今に続く原点だ。(ジャーナリスト=大阪府豊能町)

(2014年9月12日朝刊掲載)

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