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連載・特集

海自呉地方隊60年 第6部 インタビュー編 <4> 広島大大学院文学研究科教授 河西英通氏

戦争と平和 考える地に

 ―戦後、海上自衛隊の基地と歩んできた呉の町をどう見ますか。
 呉と基地との関係は極めて友好的。市民は基地を危険なものと見ていない。平時が続いているからこそ共存共栄が成り立つ。ぬるま湯的な関係かもしれないが「平和のたまもの」だ。

 ―良好な関係が生まれた経緯は。
 軍都だった呉市は戦後、「戦犯都市」からの脱却を目指し、平和産業都市への転換を宣言した。だが朝鮮戦争で状況が変わった。海自基地が置かれ、戦争特需が経済復興を支えた。再び「海軍」に依存する道が規定され、終戦直後の市民の思いとずれてしまった。

 ―呉の町はどうあるべきですか。
 平和づくりに寄与してほしい。集客力のある大和ミュージアムの意義は大きい。戦艦大和の技術に感嘆するだけでなく「戦前の日本はなぜこんなすごい物を造らなくてはならなかったのか」を考える場としたい。展示の先にあるべきは「平和」だ。町に点在する戦争史跡もかつて戦争が市民生活の近くにあったことを示す。どの町にもあるわけでない。

 ―海自側に求められることは。
 情報を極力開示する姿勢を持ち続けることが大切。基地見学も実施しており「これ以上何を」と言われるかもしれないが。いじめや不祥事など隊内には一般社会と共通する問題がある。隊は市民と同じレベルにあるべきものだ。

 ―集団的自衛権の行使容認など安全保障をめぐる情勢の変化と市民の反応をどう感じますか。
 呉に限らず、日常生活と縁遠い話なのか、市民は実感を持ちにくい。集団的自衛権の行使が宣戦布告につながり、相手国から攻撃されるかもしれない。呉が狙われることもあり得るにもかかわらず、「世界平和のためならいいじゃないか」という話になる。危機が迫らない限り、呉市民が反対の声を上げるのは難しいのだろう。

 有事で任地に向かう隊員の家族はどう思うか。自衛官にも疑問を抱く人もいるはず。市民と隊員の思いをつなぐまなざしが必要だ。海軍の町が戦後、平和都市を目指し再び基地の町になった。日本で戦争と平和を考えるに当たって呉は最先端の地といえる。(聞き手は小島正和)

かわにし・ひでみち
 1953年、札幌市生まれ。上越教育大(新潟県)助教授を経て2007年から現職。専門は日本近現代史。ことし4月発行の「軍港都市史研究Ⅲ 呉編」(清文堂)の編者を務めた。文学博士。

 「海自呉地方隊60年」は今回で終わります。

(2015年10月19日朝刊掲載)

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