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社説・コラム

天風録 「ドイツの挙手」

 ドイツに来たなら何はさておき、ビールとソーセージだ。ベルリンで先週、現地に住む旧友とレストランへ繰り出した。注文しようと手を挙げた途端に「やめて」。友の顔がさっと変わった▲何と、右手を斜め上に挙げることは法律で禁止されている。ナチス式の敬礼を連想させるためという。学校で名前を呼ばれても、挙手はご法度である。代わりに人さし指1本を立て、くるくる回すのがドイツ流らしい▲この春には、88回分洗えると容器にうたった洗剤が出荷できなくなった。ヒトラー万歳を意味する隠語「88」と重なるから。ナチス台頭を許した過去と向き合い、なお厳しく自戒を続ける国民意識の高さに正直驚く▲わが国も歴史を胸に刻み付けたはずだった。ところがどうだ。人間同士が互いの命を奪い合った記憶が薄れていく。あまたの若者を死に追いやった戦争を美化する論調も台頭しつつある。来年は戦後70年だというのに▲友と別れてホテルへの帰り道、歩道に埋め込まれた金属板を見つけた。ホロコースト犠牲者の名前を刻んだ「つまずきの石」だ。立ち止まり、己を振り返ろうと欧州各地で設置が進む。私たちも考えたい。時計の針を戻さぬために。

(2014年10月18日朝刊掲載)

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