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社説・コラム

『論』 ドイツの戦後処理 「繰り返さぬ視点」が鍵

■論説委員・東海右佐衛門直柄

 初秋のベルリン。街の中心のブランデンブルク門から200メートルほど進むと、灰色のモニュメントが突如姿を現した。虐殺されたユダヤ人を追悼する記念碑である。

 1万9千平方メートルの敷地に、何も刻まれぬ石碑が2711基も並ぶ。巨大な墓標のようだ。細い通路に入ると、迷路に入った感覚になる。沈黙の内に、約600万人のユダヤ人犠牲者に思いをはせてもらおうとのコンセプトである。

 碑ができたのは2005年と比較的新しい。しかも日本でいえば東京・銀座のような場所にある。今もなお加害の歴史を忘れないドイツの姿勢を強く感じた。

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 第2次大戦の終結から来年で70年。しかし、日本の歴史認識問題はアジアの周辺国から問われ続け、和解への道筋が見えない。

 一方、ドイツはかつて侵略した隣国との関係改善を果たしたとされる。ドイツと日本の戦後処理では、なぜこのような違いが出たのだろうか。今月、共同通信加盟社論説研究会の一員としてドイツとポーランドを視察して考えた。

 ドイツは戦後、東西に分裂し連合国側と講和条約を結ぶことができなかった。このため旧西ドイツは長らく、自国に強い警戒心を持つ隣国との外交が最重要課題となった。1970年には、当時のブラント首相がポーランドのゲットー跡でひざまずいて謝罪するなど、政治のリーダーシップも働いた。ただ90年の東西統一後も、補償問題は放置され、「法的責任から逃げた」との評価さえあった。

 明確に変化があったのは2000年とされる。ナチス時代の強制労働による国外被害者への賠償基金を設立したのだ。背景には、米国での集団訴訟がある。強制労働に関わったドイツの自動車や電子機器のメーカーなどが訴えられ、不買運動も広がった。裁判が続けば、貿易立国のイメージダウンは著しい。そこで政府と経済界が計100億マルク(約5400億円)を拠出して被害者に支給し、被害者は裁判を起こさないという合意をした。

 「ドイツが過去を克服したのは米国からの強い外圧が要因」。ドイツとポーランド双方の補償財団幹部からそうした声も聞いた。

 ドイツは自らの贖罪(しょくざい)意識から補償を進めたのか。むしろ、歴史問題に取り組むことで国際的な信用と地位向上を目指し、将来にわたって「国益」につなげようとする戦略が強かったように感じる。

 一方の日本はどうだろう。サンフランシスコ講和条約や2国間協定を通じ、国家賠償を柱に戦後処理をした。また、被害国のインフラ整備も円借款で支援してきた。政府は「戦後補償は法的に解決済み」とのスタンスである。

 しかし、日本の国家賠償は、被害者に直接渡る形ではなく、実質的には多くが当該国への経済援助であった。経済協力の実情も当事国の国民に広く伝わっていない。

 かつて元従軍慰安婦に「アジア女性基金」が「償い金」を支給したものの、国の責任があいまいだとして受け取り拒否が相次いだ。こうしたことから「日本の戦後補償は不十分」との声が中国や韓国などの世論には強い。

 もちろん、日本とドイツとでは置かれた状況が大きく異なる。ナチスは、罪のないユダヤ人たちを集めて民族絶滅を目指した人道上の大罪を犯した。ドイツの戦後補償をそのまま理想化し、手本とすることには無理がある。

 ただ、欧州のリーダーたるには隣国との和解が不可欠だとして、政治的解決を進めたドイツの姿勢には見習うべきものがあろう。

 その鍵となるのは再び過ちを繰り返さない「再発防止」の視点だ。ドイツでは、若者の歴史教育プログラムが充実している。強制労働被害者がドイツの中高校を訪問して体験を語るなどの催事が年間を通じて実施されている。

 また06年から、ドイツとフランスの学校は共通の歴史教科書を使っている。次世代を担う若者たちが戦争に至った背景を幅広い視点で学ぶ。ナチス時代を称賛する言動も法律で厳しく禁止されている。今のところ、ナチス時代を引き合いにドイツを批判する論調が欧州でほとんど出ないのはこうした取り組みの成果でもあろう。

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 日本では、慰安婦問題など歴史認識をめぐる議論が再燃している。「いつまで謝罪し続ける必要があるのか」などの意見も多い。ただ、戦時中の加害を次世代へ伝えることについて「自虐史観」のレッテルを貼るばかりでは、歴史は教訓となるまい。

 あの戦争を肌で知る世代は、やがていなくなる。負の歴史を胸に刻みながら、隣国との信頼醸成を目指す視点こそ大切にしたい。

(2014年10月22日朝刊掲載)

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