ドイツの戦後処理 「記憶・責任・未来」財団 グンター・ザートフ理事に聞く 若い世代の「学び」支援
14年10月22日
隣国との関係修復を果たしたドイツの経験を、わが国はどのように応用できるのだろう。強制労働被害者への基金、「記憶・責任・未来」財団の理事を務めるグンター・ザートフ氏(60)は、過去を見つめて受け継ぐ「未来への責任」が和解の鍵である、と強調した。(論説委員・東海右佐衛門直柄)
―ドイツを「戦後補償のお手本」とする声もありますが。
それは違います。ここまで来るのに一筋縄ではいきませんでした。戦後、国民の間には「戦争なんて暗い話は嫌だよ、忘れよう」という意見も大きかった。過去に向き合うまでに何十年もかかったのです。米国での集団訴訟などの影響もあり補償が進みました。
強制労働被害者への補償は2007年に完了し、約166万人に渡りました。「謝罪する力」を最後まで持ち続けられたことは良かったと思います。
―隣国との和解の鍵は何でしょうか。
社会のあらゆる層が動いたことでしょう。教会、市民運動、議会、経済界など、幅広い層で過去を見つめる動きがあった。例えば強制労働被害者への基金には、法的に何も責任がない戦後の新興企業も資金を拠出しました。過去を見つめて記憶していくことは「未来への責任」でもある、との意識が広がったのです。
―日本もドイツのように個人補償すべきだと考えますか。
もし、個人補償するのなら、歓迎したい。一般的に国家賠償では不十分な面があります。国と国とのやりとりでは、被害者が直接謝罪や償いを受けたと感じることが難しいのです。
―戦後補償を考える上で、被爆地広島をどう捉えていますか。
広島への原爆投下を肯定的にみる人はドイツに一人もいません。広島で起きたことは二度と繰り返してはならないことの象徴。8月6日は、ドイツでも平和を考える日です。
ただ同時に広島は、複雑な要素を含みます。戦争において、私たちは加害者でもあり被害者でもある。戦争でベルリンの街は(旧ソ連軍などに)焼き尽くされ、たくさんの死者が出た。同時に私たちはユダヤ人を虐殺した。どっちも悪いのだからそれでおあいこにしましょう、ということではないのです。原爆投下による犠牲者を悼み、併せて日本が海外の戦地で行った加害の歴史も振り返ることが大切と感じます。
―来年は戦後70年。記憶の継承が急務です。
当財団はいま、若い世代に、ナチス時代のことを学んでもらう教育プログラムを支援しています。あの時代を繰り返さない。その責任を負う人たちを支えていくのがテーマです。そのため、強制労働被害者の証言を記録することにも力を入れています。
(2014年10月22日朝刊掲載)
―ドイツを「戦後補償のお手本」とする声もありますが。
それは違います。ここまで来るのに一筋縄ではいきませんでした。戦後、国民の間には「戦争なんて暗い話は嫌だよ、忘れよう」という意見も大きかった。過去に向き合うまでに何十年もかかったのです。米国での集団訴訟などの影響もあり補償が進みました。
強制労働被害者への補償は2007年に完了し、約166万人に渡りました。「謝罪する力」を最後まで持ち続けられたことは良かったと思います。
―隣国との和解の鍵は何でしょうか。
社会のあらゆる層が動いたことでしょう。教会、市民運動、議会、経済界など、幅広い層で過去を見つめる動きがあった。例えば強制労働被害者への基金には、法的に何も責任がない戦後の新興企業も資金を拠出しました。過去を見つめて記憶していくことは「未来への責任」でもある、との意識が広がったのです。
―日本もドイツのように個人補償すべきだと考えますか。
もし、個人補償するのなら、歓迎したい。一般的に国家賠償では不十分な面があります。国と国とのやりとりでは、被害者が直接謝罪や償いを受けたと感じることが難しいのです。
―戦後補償を考える上で、被爆地広島をどう捉えていますか。
広島への原爆投下を肯定的にみる人はドイツに一人もいません。広島で起きたことは二度と繰り返してはならないことの象徴。8月6日は、ドイツでも平和を考える日です。
ただ同時に広島は、複雑な要素を含みます。戦争において、私たちは加害者でもあり被害者でもある。戦争でベルリンの街は(旧ソ連軍などに)焼き尽くされ、たくさんの死者が出た。同時に私たちはユダヤ人を虐殺した。どっちも悪いのだからそれでおあいこにしましょう、ということではないのです。原爆投下による犠牲者を悼み、併せて日本が海外の戦地で行った加害の歴史も振り返ることが大切と感じます。
―来年は戦後70年。記憶の継承が急務です。
当財団はいま、若い世代に、ナチス時代のことを学んでもらう教育プログラムを支援しています。あの時代を繰り返さない。その責任を負う人たちを支えていくのがテーマです。そのため、強制労働被害者の証言を記録することにも力を入れています。
(2014年10月22日朝刊掲載)