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社説・コラム

『潮流』 記憶の刻み方

■論説委員・東海右佐衛門直柄

 ドイツ・ベルリンの街歩きは楽しめる。石畳の道を、かわいらしい標識や植栽が彩る。しかも道路の名がユニークなのである。

 モーツァルト、ベートーベン、シューベルト…。大音楽家の名を冠した道が多い。「ヒロシマ通り」もある。平和を象徴する場所にと市民が声を上げ、1990年に命名された。

 今月、現地へ取材で訪れた際、何げなくホテル近くの標識を見上げ、どきりとした。「シュタウフェンベルク通り」。本や映画で、その人名に覚えがあった。

 シュタウフェンベルクは、ヒトラー暗殺未遂事件の実行者である。陸軍軍人として出世を重ねる一方、自国のユダヤ人虐殺に疑問を抱くようになる。そして44年7月、時限爆弾をかばんに忍ばせて幹部会議に出席し、そっと席を外した。

 結果は失敗に終わった。かばんは爆発したものの厚いテーブルに阻まれ、ヒトラーは軽傷だった。会議室から姿を消したシュタウフェンベルクはすぐ疑われ、翌日、ベルリン市内で仲間とともに銃殺されている。

 「ドイツのため、ここに死す」。通りに面した国防省の中庭に彼らの名が刻まれた銅板が残されていた。傍らには、両手を縛られた男の銅像。固く握りしめた拳が、強い信念を表現しているかのようだった。

 あまたのユダヤ人や障害者たちをガス室に送り、その尊い命を奪ったナチス政権。決して許されることはない。一方、この暗殺未遂事件をテロ行為とみることもでき、今も見解は分かれよう。

 そうした議論を含め、彼の名を道路にした意義はある。自分がナチスの将校だったなら、どう行動できただろう―。そう自問しつつ歴史と向き合ってもらう狙いなのかもしれない。

 来年は戦後70年。薄らぐ戦争の記憶を、次代にどうつなぐか。日本も鋭く問われている。

(2014年10月25日朝刊掲載)

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