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連載・特集

廃炉の世紀 第1部 先進地欧州 <2> 中間貯蔵(ドイツ) 

核のごみ 跡地に集積

企業誘致 「城下町」変貌

 ドイツの首都ベルリンから北へ車で約3時間走ると、バルト海に面した港町にグライフスバルト原発が見えてきた。東西ドイツが統一した1990年に閉鎖されて24年。建設中も含めて8基がそびえた巨大原発は、欧州最大の「廃炉の先進地」に姿を変えている。

 線量計を持って防護服に着替え、セキュリティーチェックをくぐって敷地内部へ進む。「廃炉は未知の世界だったが、手探りでここまで来た」。技術者として長年働いたEWN社のマリース・フィリップさん(58)が案内したのは、敷地約2万平方メートルの中間貯蔵施設。一角に、原発から取り出された巨大な原子炉格納容器や蒸気発生器がほぼ形を残して横たわっていた。

 「毎時30マイクロシーベルト」。そばの鉄塊に表示が見えた。2メートル離れた場所で、年間の許容量を34時間で超える線量だ。毎時50マイクロシーベルトに届く部品もある。「汚染レベルの高い大型機器はここで数十年保管します」とフィリップさん。大型機器の搬出はほぼ終わり、廃炉作業は最終盤に入ったという。

 欧州ではこのように、廃炉を進める敷地内に廃棄物の中間貯蔵施設を設けざるを得ないケースが多い。「施設がなければ廃炉は進まなかった」。EWN社の代表者の一人、ユルゲン・ラムトンさん(58)が説明する。廃炉作業が本格化したのは95年。総量180トンと膨大な廃棄物が予想され急いで建設を決めた。高圧洗浄、化学処理による除染、大型部品の切断などもできる。線量が低い設備から炉心周辺へ解体が進む中で、施設が作業を支えてきた。

 原発の閉鎖で、地域の雇用は一時大幅に減った。同原発は89年当時、旧東ドイツの消費電力の約1割を担い、新5号機が試運転、6~8号機も建設中だった。だが、チェルノブイリ原発事故の余波で安全性を疑問視され全て閉鎖。5千人いたEWN社の従業員は、最終的に千人程度になった。

 廃炉と同時に取り組んだのが、地元と連携して除染後の設備や土地に企業を誘致する工業団地化だ。タービン建屋の跡地には、広さを生かして洋上風力発電の支柱を造る工場などが完成。一帯の新規雇用は千人強に上り、既にEWNの社員数も上回った。他国の廃炉を請け負うなど廃炉ビジネスを拡大しているEWN社も、新規採用を増やしている。「原発城下町」は変貌を遂げたように見える。

 だが、ラムトンさんは言う。「完全な終わりはまだ見えない」。貯蔵施設には使用済み燃料約5千本を含む「核のごみ」が依然残る。廃炉中の他の原発の廃棄物も運び込まれ、「なぜここに」と疑問の声も上がる。

 地元の反原発市民グループは指摘する。「ドイツには放射性廃棄物の最終処分場がない。このままでは『中間貯蔵』が最終処分になりかねない」

ドイツの廃炉
 ドイツは「脱原発」を目指しており、これまでに閉鎖した原発は27基(9月末現在)で米国、英国に次いで世界3位。廃炉は10~15年程度の短期で進めるケースが多い。既に3基が廃炉作業を終えた。福島の事故を受けて2011年、政府は国内17基のうち8基の運転を順次停止し、廃炉を決定。運転中の9基も22年までに閉鎖する予定。

(2014年10月29日朝刊掲載)

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