×

ニュース

被爆2年 樹木の記録 広島大の関係者発見 資料館に寄贈

■記者 水川恭輔

 原爆投下から2年後の1947年に広島、長崎の両市で計162種の被爆樹木を観察した記録が見つかった。寄贈を受けた原爆資料館(広島市中区)は「現存しない被爆樹木が膨大に記録され、被害の実態に迫る一級資料」と評価し、2011年中に展示する。

 記録は当時、広島文理科大(現広島大)3年だった元高校生物教諭勝田神能(しんのう)さん(88)=三重県鈴鹿市=が卒業論文としてまとめた。題は「原子爆弾による被害植物の解剖学的研究」。本文102ページと図表111ページで構成する。

 勝田さんは1947年3~9月、爆心地から6キロ以内の広島城跡や縮景園など広島市の22地点と長崎市の2地点で被爆した計162種計約500本の樹木を調査。樹種ごとの生息と枯死の分布▽被害を受けた幹、枝、葉の形態▽顕微鏡で見た細胞の傷―などを一覧表やスケッチで記録した。

 「クスノキやウメは爆心地から0.5キロ以内で新芽を出したが、アカマツは2キロ以上でも枯死」「キョウチクトウは2キロ以内に50株以上で広島で最も多く生き残った」…。足で稼いだ記録は焼け跡の「緑」の衰弱と再生を浮かび上がらせる。

 勝田さんは観察を基に、樹種によって被害の度合いが違う▽成長が止まるとできる偽年輪は、幹の爆心地側で著しい▽まだらがある異常な葉は、爆心地から約1.3キロ以内で確認―などと指摘する。

 記録の一部は1975年刊行の広島大の原爆資料集で紹介された。その後、所在不明になっていたが、同大関係者が見つけ2010年8月に同館へ贈った。勝田さんは「被爆の惨状を記録できるのは今しかないとの思いで調査した。今後の研究に役立てばうれしい」と話している。

「一級の現存資料」専門家

 1人の大学生が焼け跡を歩き回って記した木々の傷痕と成長―。64年前の被爆樹木の克明な記録に、地元の植物研究者からは驚きと今後の研究に期待する声が上がっている。

 「現存する被爆樹木の資料の中で、最も価値が高いものの一つだ」。被爆樹木の保存に携わる樹木医堀口力さん(65)=広島市西区=は力を込める。

 堀口さんは、爆心地側ではない幹の細胞にも被害がある点に注目。「根の活力も被爆で弱まったからではないか。被害の根深さを示す」と指摘する。

 記録は爆心地からの距離と被害の関係図やまだらが生じた葉の実物大スケッチも含む。広島大の関太郎名誉教授(植物学)=廿日市市=は「被爆樹木の研究は非常に少ない。英文で世界に紹介するに値する」と話す。

 1945年8月6日、広島文理科大生の勝田さんは鈴鹿市の実家へ向かっていたおかげで、被爆を免れた。同大卒業後は古里で高校生物教諭を務めた。持ち帰った被爆樹木の枝を生徒に観察させ、原爆の被害を教えた。

 勝田さんは、原爆資料館から贈られた複写で、卒業以来初めて記録に目を通した。「被害を後世に伝えるのが生き残った責任と感じた。やりとげてよかった」と目を潤ませた。

(2011年1月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ