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連載・特集

ブンカの強豪 演劇 沼田高(広島市安佐南区)・舟入高(中区) 

重圧と使命 原爆劇脈々

 広島の高校演劇にとって、原爆は欠かせないテーマだ。毎年のように高校生が、ヒロシマと向き合う濃密な時間を過ごす。中でもコンクールで切磋琢磨(せっさたくま)してきた、沼田高(広島市安佐南区)と舟入高(中区)の演劇部を訪ねた。

 「表情と声は連動するよ。いい表情で、大きく見せよう」。10月中旬。沼田高の講堂に、顧問の黒瀬貴之(たかし)教諭(50)の声が響いた。全国大会に向けた地区大会が迫り、部員たちの稽古も次第に熱を帯びる。

 演目は、黒瀬教諭が脚本を書いた創作劇「はないちもんめ」。主人公は、バスケットボール部に所属する東京の女子高生。被爆3世であることをからかわれ、悩む。広島で被爆した祖母は、女学校の級友を亡くし、生き残ったことに罪の意識を感じて生きてきた。そんな体験を聞き、女子高生は自分を見詰め直す。

 同部は昨年、18年ぶりの全国大会出場を果たした。出場前年は11人だった部員は現在、39人。今回は派手な舞台装置は使わず、集団の動きで見せる演劇を目指す。「このメンバーじゃないとつくれない芝居を目指そう」。黒瀬教諭は、そう部員に語り掛けてきた。

 大半の部員は、被爆地で平和教育を受けてきた。ただ、原爆劇は知識だけでは表現できない。被爆者や家族の気持ちに寄り添い、どう表現していくか―。

 2年山下紗奈さん(16)は、女学生だった被爆当時の祖母を演じる。被爆死した友人の母親に生きていることを遠回しに責められる場面がある。「生き残ったことに罪悪感を感じる苦しさ。いまだに迷いながらやっている」。被爆の悲惨さを伝えたいと、この役に自ら手を挙げた。黒瀬教諭から助言を受けたり、被爆当時の女学生の写真を見たりと想像を膨らませる。それでも、稽古後は重圧から涙がこぼれることもある。

 「生存者が抱える罪悪感は、東日本大震災や広島土砂災害でもいえる。今を生きる自分たちに結び付けて表現してほしい」と黒瀬教諭。ヒロシマを題材にした演劇にゴールはない。部員たちと日々模索が続く。

 「原爆劇の舟入」。全国にその名を知られる舟入高演劇部。ことしで60回の全国大会に過去11回出場。出場回数は全国最多で、頂点を射止めた実績も持つ。

 舟入高の前身は、生徒や教職員計676人が被爆死した広島市立第一高等女学校(市女)。「広島市内で最も多くの犠牲を出した学校。風化が叫ばれる中で、原爆劇の伝統を築いてきた矜持(きょうじ)がある」。顧問の須崎幸彦教諭(58)は力を込める。

 「入部したころ、原爆劇はおもしろくないと思っていた」。大阪府生まれの2年田中樹音(じゅね)さん(17)は打ち明ける。自ら原爆劇を演じるうちに「私たちが伝えていくんだ、と使命感が湧いてきた」という。

 地区大会で部員8人は、原爆孤児の生きざまを描いた創作劇「廣島戦災児育成所童心寺物語」を披露する。吉本直志郎の児童文学「青葉学園物語」や紙芝居を基に、須崎教諭が脚本をまとめた。演出担当の2年菊田実李(みのり)さん(16)は「原爆孤児たちの前向きさや、復興にかける力強さを表現したい」と意気込む。

 同校講堂で、練習風景を温かく見守る姿があった。演劇部元顧問の伊藤隆弘さん(76)だ。伊藤さんは1969年、初めての創作劇に舟入らしさを出そうと、原爆を題材にした脚本を手掛けた。それが舟入高の原爆劇の原点となり、今も脈々と受け継がれている。

 伊藤さんはこう語り掛けた。「原爆は、皆さんには大昔の事かもしれない。それをいかに理解し、近づくか。しんどいのは百も承知。それでも舟入から発信しないと誰が発信するのか」。部員たちの顔が、一段と引き締まった。(石井雄一)

<メモ>演劇部員が目指す最高峰の舞台は、全国高校総合文化祭演劇部門(全国高校演劇大会)だ。来年の全国大会に向け、中国地方でも5県の地区大会がこの秋始まっており、各県大会を経て、中国大会には計11校が出場する。同地方の全国大会への代表枠は1、2枠。2011年には、華陵(山口)が全国の頂点に輝いた。近年では、出雲(島根)沼田(広島)三刀屋(島根)が、全国大会で優良賞を受けている。

(2014年11月1日朝刊掲載)

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