×

ニュース

戦争が生んだ狂気 アウシュビッツを訪ねて 靴・髪の毛 悲劇の重み

 山のように積まれた靴、かばん、髪の毛…。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を10月、共同通信加盟社論説研究会の一員として訪れた。ナチス・ドイツがユダヤ人らの命とともに奪った遺品に、身が震える。展示品一つ一つが、悲劇の重みを訴えかける。(東海右佐衛門直柄)

 その門をくぐると、空気が変わった気がした。「働けば自由になる」。頭上にはドイツ語でそう掲げられている。しかしそれは絵空事であり、実際は100万人以上がガス室に送られた。今は国立博物館となり、戦争犯罪を伝える。

 館内の展示は、生々しい。約2トンの毛髪は、収容女性たちの頭を刈り、集められたもの。生地に加工するためだったという。

 おびただしい靴の山に驚きながら、一人一人が生きていた頃を想像した。あの小さな靴は、やっと歩き始めた頃のではないか。胸が張り裂けそうになった。

 一度に600人が詰め込まれたというガス室は、今も時間が止まったよう。ナチスは殺した人の金歯や指輪を抜き、焼却後の灰まで肥料として利用した。「冷淡な合理性」との地元ガイドの説明に衝撃を受けた。

 第2収容所跡の鉄道の引き込み線の上に立った。家畜用の貨車で運ばれたユダヤ人たちは、ここで生死が分かれたという。働けないと判断されれば、そのままガス室へ。人々を無機質に仕分けた当時の監視員の写真パネルに足がすくんだ。

 当時のナチス幹部は、どれほど残忍だったのだろうか。博物館で日本語ガイドを務める中谷剛さん(48)は「家に帰れば子どもと遊ぶ普通の人だったらしい。同じ状況になれば、誰もが同じことをしたのかもしれません」。戦争が生む狂気に寒け立つ思いがした。  来年は戦争終結から70年。歴史をいかに継承するか、問われる。

 奇跡的に生き残った元収容者ヘンリー・アペルの言葉を胸に刻んだ。「アウシュビッツより恐ろしいものは一つしかない。それは世界がアウシュビッツを忘れることである」

■アウシュビッツ強制収容所
 ドイツ民族による「人種的に純粋な社会」を目指すナチスが、ポーランド南部オシフィエンチムに建設。1940年6月から45年1月まで、全欧州からユダヤ人、ポーランド人、少数民族ロマ、ソ連軍捕虜たちを移送、100万人以上がガス室などで殺された。47年、第2収容所とともに国立博物館となった。79年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に指定された。

(2014年11月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ