×

連載・特集

回天の記憶 <中> 風化にあらがう 

節目の年 歴史発信に力 レプリカ再塗装やグッズ

 旧日本軍の人間魚雷「回天」の訓練基地があった大津島への船便が発着する周南市築港町の徳山港。その一角に飾られている回天の実物大レプリカが10月下旬、塗り直された。

 太平洋戦争末期の特攻兵器の搭乗員となった若者の葛藤を描いた2006年公開の映画「出口のない海」の撮影用に、同市江口の岐山化工機が映画会社の依頼で製作したうちの一基。徳山商工会議所が中心になって買い取り、市に寄贈した。ことしに入って同社に「さびついている」と手紙が届き、製造元として再塗装した。

予算計上見送る

 「雑で粗い溶接に戦争末期を感じた」。製作責任者として、東京の靖国神社境内の展示施設「遊就館」で回天の実機を見学した同社の渡辺修取締役(56)=下松市東陽町=は振り返る。長さ14・6メートル、直径1メートルの寸法や構造を忠実に再現した。つや消しの黒い塗装は今回、耐久性を重視した種類に変えた。「少しでも長く回天の姿を伝えられるように」と。

 回天顕彰会の原田茂会長(76)=周南市飯島町=は、毎年11月に開く追悼式について「『参列はことしで最後』と話す遺族が毎回のようにいる。風化をどう防ぐかが最大の課題」と訴える。

 再塗装は市も一時、検討したが、徳山ポートビルを県がリニューアルする際に合わせてでいいと判断し、予算計上を見送った。回天の実戦投入から今月8日で70年となることし、市が企画する特別な事業はない。

 岐山化工機と市を仲介し、レプリカの塗り直しにつなげたのは同市の周南観光コンベンション協会だった。同協会は3月、回天の歴史を発信する「平和の島プロジェクト」を始めた。約20種類の回天グッズの考案や販売、大津島を巡るツアーの実施などに取り組む。

「美化」と批判も

 一方でプロジェクトには、「特攻を美化するのか」「犠牲になった若者を商売に使うな」との批判も寄せられている。同協会の竹島幸伸事務局長(45)=同市緑町=は「まず回天に興味を持ってもらうための活動だ。歴史をきちんと伝えていくことが地元の使命。市には正直、その熱意が薄い」と説明する。

 プロジェクトは、回天の是非に触れない。当時の戦況や搭乗員の思いなどを学んだ上で、一人一人に判断してほしいからだ。グッズ販売の収益は、米国に残る実機の借り受けなど、今後の活動の費用に充てる。

 追悼式は9日にある。協会は、ことし顕彰会に加わった職員たち約10人で初めて運営を手伝う。「戦争を知らない世代が、回天を伝える側に回ってくれ始めた」。原田会長は少し、ほっとしている。(桑田勇樹)

(2014年11月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ