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縁ある人と「心」の木像 松江の仏師 川島さん 共同制作の輪 広げる

■記者 伊東雅之

 松江市内中原町の仏師川島康史さん(50)は、縁ある人や思いを共にする人に創作に加わってもらう仏像作りに取り組んでいる。「人々の心のよりどころとなる仏像とは」と問い続け、たどり着いた一つの作風。平和や友好への思いがこもった木像は海外にも贈られ、共感を広げている。

 島根半島の山麓。一畑薬師教団総本山の一畑寺(一畑薬師)にほど近い出雲市小境町の工房で、完成間近の木像に川島さんが慎重に彫刻刀を当てる。

 同寺を開いた補然(ほねん)和尚の座像。来年の1100年遠忌大法要に合わせて同寺に安置される像には、最初ののみの打ち込みから依頼者の飯塚大幸・同寺管長(50)の手も加わる。

 共同作業は川島さんの提案だった。「ご縁のある人に加わってもらった方が、より心のこもった作品に仕上がると思うのです」。飯塚管長も「お薬師様に帰依した補然という一人の人間を思い浮かべながら彫った。親近感がわき、素晴らしい体験になった」と語る。

被爆地で開眼

 川島さんが「心」に強くこだわりを持つようになったのは2002年。8月6日を目前に控え、初めて広島市内で開いた個展でのことだった。1体の作品にじっと手を合わせ、涙ぐむお年寄りが川島さんの目に留まった。

 向かい合うのは胸の前で手を合わせ、悲しげに祈りをささげる男性の立像。その光景を見た瞬間、「自分のような者の作品で申し訳ない」という気持ちに襲われた。「技術面ではこだわりを持ってきたが、果たしてそれだけでいいのか」。被爆の悲しみを持つ広島での体験は自分を振り返る契機になった。

 川島さんは松江市内の高校を卒業後、銀行員生活を送っていた。仕事に不満はなかったが「この世界だけで人生を終えていいのか」との疑問が強くなり、25歳で脱サラ。全国を旅する中で出会った木彫に引かれ、27歳の時この世界に飛び込んだ。そして人生にもう一つの転機を与えてくれたのが、広島での被爆体験を語り続けてきた沼田鈴子さん(87)=広島市南区=との出会いだった。

 2007年夏、知人の紹介で初めて会った沼田さんは、川島さんの作品を見るなり抱き締めた。苦しそうな表情を浮かべながらも、ひざまずいた姿勢から立ち上がろうとする女性像。未来への希望を表現した作品だった。「思いのこもった作品は見る人に生きる力を与える。共感し合える人の手が加われば、もっと心の通う作品ができるのでは」。共に作る手法が浮かんだ。

海外にも贈る

 一昨年からは、平和活動を進める団体や個人を通して海外に作品を贈っている。「かわいらしい表情が国や宗教を超えて愛してもらえるのでは」との思いからモチーフは笑みを浮かべる地蔵の像だ。

 韓国原爆被害者協会、ブラジル被爆者平和協会、米国のカーネギー地球物理学研究所、ニューヨーク本願寺仏教会…。それぞれ沼田さんにのみを入れてもらったほか、広島市であった展示会や物産イベントで、市民にのみを握ってもらった作品もある。

 「ほほ笑みの輪が世界に広がりますように」。人々との作品作りは川島さんの新たな作風の確立と創作意欲につながっている。

(2011年1月10日朝刊掲載)

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