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社説・コラム

ごりごりの広島弁 撮りたい 広島国際映画祭 ゲスト参加の長谷川和彦監督に聞く

 広島国際映画祭にゲスト参加する長谷川和彦監督に、久しぶりの新作を目指す心境や、過去の作品について聞いた。(藤村潤平)

 ―前作の「太陽を盗んだ男」は1979年。なぜ、いま新作なのですか。
 広島を舞台に、広島弁ごりごりの映画を撮りたいとの思いがずっとあった。映画監督を目指したのも、私が胎内被爆者で長生きできないから、若いうちに花開く仕事でなければとの焦燥感があったから。自分を形作り、愛している古里を一度はテーマにしたかった。

 ―具体的なイメージは。
 自分の実感と本音を満たすアイデアと企画は、簡単ではない。今までも映画化しようとしてできなかったものが十数本はある。広島の映画というと、新藤兼人監督の「原爆の子」(52年)も含めて、被害者ポジションの作品が目立つ。通底するものは持ちながら、真逆の表現に挑戦してみたい。2年後の製作発表を目指したい。

 ―「太陽を盗んだ男」は、原爆をつくった中学教諭が日本政府を挑発するストーリーでした。
 受けを狙った冗談映画という見方があるかもしれないが、自分流のまじめさで作った。原案は米国人だが、原爆をつくる過程で主人公を被曝(ひばく)させるアイデアは私が出した。加害者と被害者を1人の人間に入れ込む狙いがあった。「笑う原爆」という仮タイトルや内容の一部に抗議されたこともあったが、自分なりに被爆者を背負っている覚悟があったから向き合えた。

(2014年11月8日朝刊掲載)

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