×

ニュース

松島圭次郎氏が死去 85歳 英語で被爆体験語る

 国内外で英語での被爆証言に力を尽くした、「ひろしまを語り継ぐ教師の会」会長の被爆者、松島圭次郎(まつしま・けいじろう)氏が12日午前3時5分、敗血症のため広島市中区の広島赤十字・原爆病院で死去した。85歳。広島市南区出身。自宅は広島市佐伯区五月が丘1の13の27。葬儀は13日午前10時半から広島市西区南観音8の10の8、平安祭典広島会館で。喪主は妻幸子(さいこ)さん。

 16歳の時、爆心地から約2キロの広島市千田町(現中区)にあった広島工業専門学校(現広島大工学部)の教室で被爆。戦後、広島市立中学校の英語教諭になった。1966年から1年間、市教委から米シカゴ郊外の学校に派遣され、現地の学校や集会で被爆体験を語った。

 校長職を退いた後、本格的に証言活動を開始。流ちょうな英語を生かし、アフガニスタンのカルザイ前大統領、ノーベル平和賞受賞者の故ワンガリ・マータイさんたち、広島市を訪れた各国の要人や著名人に体験を伝えた。2005年に広島国際文化財団の「広島世界平和ミッション」で米国へ赴いたほか、ドイツやキプロスなど各国で核兵器の悲惨さを訴えた。(田中美千子)

松島圭次郎さん死去 「ヒロシマの損失だ」 関係者ら悼む

 広島の被爆者、松島圭次郎さんが亡くなった12日、ゆかりの人たちは深い悲しみに包まれた。被爆の実態と平和への思いを、堪能な英語で外国人にも真っすぐに語り掛けた姿をしのび、「ヒロシマの損失だ」との声も聞かれた。

 「大好きだった。悲しい」。広島平和文化センターのスティーブン・リーパー前理事長(66)=広島市東区=は声を絞り出した。同センターの証言者だった松島さんが活動する場に何度も同席したという。「英語力はもちろん、物腰の柔らかさと心(しん)の強さを併せ持ち、人を引きつける力もあった」

 原爆資料館(中区)の志賀賢治館長(62)も「ヒロシマ発信の要になっていただいた」と振り返る。

 昨年、血液の病気を発症してからは証言の場から遠ざかり、周囲に「悔しい、悔しい」と漏らしていた。

 元中学校長で「ひろしまを語り継ぐ教師の会」の会長も務めた。同会の梶矢文昭事務局長(75)=安佐南区=にとっては、中学時代の恩師。「実直な人柄はずっと変わらない。子どもに平和の心を育てようと全力を尽くされる姿に頭が下がるばかりだった」と惜しんだ。(田中美千子)

(2014年11月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ