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社説・コラム

『潮流』 なんじ殺すなかれ

■平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 ロシアの文豪ドストエフスキーの受け売りだが、人間最大の欠陥にして、私たちの力を阻む最も危険な障害は物笑いの種にされるのを恐れる心だそうだ。ならば、それを克服すればきっと、ひとかどの人物になれるのだろう。

 例えば、1905年に女性で初めてノーベル平和賞に輝いたオーストリア平和協会の創設者で作家のベルタ・フォン・ズットナー(1843~1914年)。風車に歯向かうドンキホーテとあざ笑われても平和を呼び掛け続けた。

 めげない強い心の内には、どんな支えがあったのだろうか。同じオーストリアの作家は、こう記している。

 彼女が繰り返し繰り返し語ったのは、聖書に書かれている単純な真理、「なんじ殺すなかれ」にほかならなかった。それを新しい言葉で語った。武器を捨てよ、と―。

 一躍、時の人に押し上げた小説の題も「武器を捨てよ」(1889年)だった。普仏戦争など19世紀の戦争をテーマに、その悲惨さを写実的に描き、欧州に衝撃を与えた。トルストイをはじめ各国の文学者や著名人が激賞した。

 もちろん、「駄作だ」「押しつけがましい」などといった激しい攻撃も受けた。「平和屋ベルタ」などと風刺画の題材にされ、見下す人も少なくなかった。それでも、平和運動の先駆者として、「武器を捨てよ」と訴え続けた。

 「彼女がいなかったら、ノーベル平和賞自体が存在しなかったかもしれない」

 そんな評価さえ今はある。手紙のやりとりなどアルフレド・ノーベルとの親交は20年にも及んだ。平和賞創設のヒントを与えたともみられているほどだ。

 没後ちょうど100年。世を去った1カ月後、警告を発し続けていた第1次世界大戦が始まった。その後もさらに欧州は戦火に見舞われた。それでも、ズットナーの訴えの重みは変わるまい。

(2014年11月13日朝刊掲載)

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