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戦死の父 残した日記 夜明け死体の山/一滴の水もなく 広島の田辺さん製本 

 広島市東区の田辺怜子さん(80)が、日中戦争で戦死した父の河野友行さんが、戦地から妻のキヨさん(1967年に59歳で死亡)に送った日記を製本して「戦陣日記」として自費出版した。「戦争のむごさを若い人にも知ってほしい」と訴えている。(二井理江)

 日記は、キヨさんが生前、日付順にとじて風呂敷に包んで保管。時々、大事そうに出して読んでいたという。キヨさんが亡くなった後、居宅を解体する際に田辺さんが持ち帰って保存していた。製本は、2013年夏、がんで闘病中だった兄の浩さん(同年9月に82歳で死去)を励まそうと思い立った。

 日中戦争の発端となる盧溝橋事件が起きた1937年7月7日、河野さん一家は山口市の湯田に住んでいた。同月末、職業軍人だった友行さんが中国北部に向けて出発する直前の25日から日記は始まり、翌38年6月23日まで続いている。友行さんは釜山から列車でソウル、平壌、瀋陽などを通って北京近くに着いた後、張家口や太原、徐州での戦い、けがによる青島での入院などを経て同年9月26日、済南で戦死した。37歳だった。

 日記には、敵に攻撃を受け、すぐ右隣にいた分隊長が亡くなったり、夜明けとともに周囲を見渡すと死体の山だったりした様子を描写。自陣と敵陣の戦線を図で分かりやすく示すなど戦地での状況を詳しく説明している。敵の手りゅう弾で右足を負傷したのに手当てができない状況や、足の痛みで一睡もできなかったこと、水が一滴もないまま何日も過ごしたり、入院中に中国人の子どもから中国語を教えてもらったりした話も書いている。

 また「敵線ではたき火することもできず外とう1枚で寒さをしのぐ」や、壕(ごう)から出ると敵に狙われるため「壕内に用を足して円ぴ(シャベル)で投げ出すより仕方はない」など細かい記述もある。田辺さんは「戦争とはどんなものか、野戦での克明な記録を読んで感じてほしい」と話している。

 横18・2センチ、縦23・7センチで286ページ。25冊作り、広島市立や県立の図書館、両親の古里である岩国市周東町の公民館などに寄贈した。

(2014年11月17日朝刊掲載)

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