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社説・コラム

『論』 被災地に学ぶ「創生」 逆境はね返す熱意こそ

■論説委員・岩崎誠

 見渡す限り雑草に覆われた田んぼに人の姿はない。原発事故の現場から20キロ圏内の福島県南相馬市小高区で先月末、目にした光景である。失われた実りを思う。

 3・11に何を学ぶか。日本人の喫緊の課題とされたはずだ。しかし4度目の冬を前に、関心の薄らぎと風化は否定できまい。

 地方は衰退すると声高に叫ばれる今だからこそ、被災地にもっと目を向けるべきではないか。コミュニティーの崩壊と人口減に見舞われた現状は、30年先の日本社会の先取りだと指摘されてきたからだ。復興に挑む二つのグループを訪ねて、思いを強くした。

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 その一つは、小高区の住民や出身者でつくるNPO法人「浮船の里」である。1万2千人が避難生活を送り、今も家に戻れるのは日中だけだ。住民の絆を取り戻す交流の場として生まれた団体は、ことしから養蚕復活に挑む。

 除染が一定に終わる再来年春の帰還という目標がある。しかしコメづくりのめどは立たない。少しでも現金収入をもたらし、人をつなぎとめる受け皿がほしい―。そのため放射線の影響が小さいと聞いたカイコを育てて糸を紡ぎ、マフラーなどの織物を特産化するアイデアが生まれたのだという。

 その昔は600もの養蚕農家で栄えた土地柄であり、桑畑や道具が今も少し残る。往時の記憶のある農家の指導を受け、まずはNPO法人の事務所で500匹の飼育に成功した。織り手を育てる講習会も開いている。さらには製品化のノウハウを持つ本場、群馬県富岡市の工房の協力も得られそうだという。広がる夢をメンバーから聞くだけで心強くなる。

 事業化に向けたハードルは待ち受けようが、諦めず古里を取り戻したいという熱意を何より見習いたい。新しいものを追うよりは、地域に眠る遺産を生かす発想も大きな意味があるはずだ。

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 むろん何をするにしてもマンパワーの確保が前提となろう。その点でいえば、仙台市若林区の津波被災地で接した取り組みも頼もしかった。あの日、がれきや塩分を含む泥にまみれた豊かな田園地帯である。地元の5大学から70人ほどの学生が集う「ReRoots(リルーツ)」という復興支援サークルの活動がめざましい。

 始まりは避難所で偶然知り合った学生や住民らが田畑の後片付けに汗をかいたことだという。全国各地の支援も得た復旧作業が一段落した今は、住民と連携して農業再生に向けたプロジェクトを進めつつある。一般社団法人格も取ったというから、単なる学生ボランティアの域を超えていよう。

 被災地の一角に事務所や自前の農園を設け、復興のありようを議論しながら実行に移している。例えば都市住民と被災者の交流の場となるコメやサツマイモづくり、失われた景観回復に向けたヒマワリ植栽…。高齢者の目立つ災害公営住宅の近くで、被災農家がつくる野菜を移動販売する試みもスタートしたばかりという。

 収穫の輪に加わり、若者たちから話を聞いた。エネルギーをもらった気分になった。

 農村コミュニティーの基盤の維持と再生に外からの若い力を生かす。学生にとっても、掛け替えのない社会勉強の場となる。まだ緒についた段階だが、軌道に乗っていけば双方向の「好循環」が生まれてくるに違いない。

 この二つの事例に共通するのは伝統と絆を重んじ、地道な交流と連携によって焦らず地域再生につなげていく姿勢といえる。

 曲がりなりにも国会で論じられてきた「地方創生」との落差を感じざるを得ない。安倍政権が掲げるのは、5年間の目標を自治体に立てさせ、目先の成果を地域間で競わせる方法論に思える。

 政府側がしきりに口にする地域おこしの成功例にしても、もともと条件に恵まれていた一握りの「勝ち組」にすぎないとの見方がある。過疎や高齢化で打つ手の見つからなかった地域にとって、どれほど参考になるだろう。

 思いもかけず、真の逆境に追い込まれたのが3・11の被災地だ。はね返そうという懸命な営みに学び、エールを送り続けたい。

(2014年11月20日朝刊掲載)

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