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社説・コラム

天風録 「回天…70年前の便り」

 「お母さん」と何度も呼び掛ける。少しも怖くない、と強がりながら、寂しいと18歳の心根をぽろり。二度と会えない家族への思いやりにあふれる。一番怖いのは母さんの涙です、と遺書にはあった▲人間魚雷「回天」。命を兵器にした、あまりに暗い過去である。訓練基地跡が残る周南市で知らしめる場は限られていた。最近になって駅にポスター、近くにオープンした観光案内所にグッズが並ぶ。歴史がやっと目に見えてきた▲この街で「平和プロジェクト」が動きだしている。先の遺書をつづる手拭いを作った。搭乗員たちの世話をした「回天の母」おしげさんにちなむ、すき焼きの缶詰まである▲70年前のきのう、遠い外洋で最初の戦死者が出た。徳山湾の沖合、大津島の記念館には帰らぬ搭乗員たちの顔写真が飾られる。全員が二十歳前後。その初々しさは現代の若者たちと変わらない。何が違ったというのか。胸が詰まる▲ゆかりの品々を商品にすることに批判もある。だが当時を知る人は高齢化し、島に住む人も減っている。二度とあってはならない。だからこそ、伝えなくてはなるまい。最後まで家族を案じた若者の便りは未来に宛ててもいたはずである。

(2014年11月21日朝刊掲載)

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