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道具への畏敬が美を生みだす 工業デザイナー栄久庵憲司さん 広島県立美術館で「世界展」 

 工業デザイナー栄久庵憲司さん(85)=東京都=の原点は、被爆直後に立った広島だという。以来、食器から新幹線まで幅広い「道具」を美で彩ってきた。広島県立美術館(広島市中区)で開催中の「広島が生んだデザイン界の巨匠 榮久庵憲司の世界展」。会場を訪れた栄久庵さんは「現代人は、共に生きる道具(もの)への畏敬の念を忘れていませんか」と投げ掛ける。(森田裕美)

 「生涯をかけた仕事が、第二の古里で見ていただける」。自らデザインした車いすで、笑顔を見せる。

 東京で生まれ、ハワイや母の古里福山、僧侶の父が受け持つ寺があった広島で育った。防府市にあった海軍兵学校の分校で終戦を迎え、広島に戻ったのは被爆から2週間後のこと。

 「爆弾は破壊のイメージがあったが、壊れるどころか何もない。凄惨(せいさん)な『無』の世界が広がっていた。人間は裸のとき以外、ものに囲まれて生きているのに、何もないという状態がとても不自然に思えた。しっかりつかめる『もの』がほしい。ものの世界に生きたいと思った」と、ものづくりを志した日を振り返る。

 一方で、焼け野原に差し込んだ夕日の美しさに「美は喪失の悲しみを救済しうる」と感じた。戦後、父を継いで仏門に入ったものの夢が捨てきれず、東京芸術大に進んだ。

 工業デザインは、量産品を美しく彩る世界だ。誰もが手に入れることができる「美の民主化」を目指してきた。1961年に発売された赤いキャップの卓上しょうゆ瓶は、主婦が一升瓶を抱え、しょうゆ差しに移す手間を省いた。ひと目で中身が分かるガラス、しょうゆの色と合うキャップは、半世紀以上も変わらない。注ぐ時に自然と小指が離れ、使う姿が美しく見えることも計算されている。

 福山で過ごした小学生の時、鞆の浦の景色を見て「きれいだな」と言うと、父親が「自分のものと思えばもっと美しく見えるよ」と返した。当時は分からなかったが、大人になって、空間を自分のもののように大切に考え、美しい環境を生みだすことが自らの役割と思うようになった。「小さな一つ一つをデザインすることは、まちの一隅をつくっていくこと」。信念は、前衛建築運動「メタボリズム」や、その後の都市空間デザインにも生きている。

 ものが大量消費される現代。「日本には古くから針供養のように、折れた針の1本にも敬意を払う心があった。今は一かじりして捨てる悲劇的な状況だ」と指摘する。

 同展では、栄久庵さんと彼が率いるGKデザイングループが手掛けてきた代表作計約80点を、3章に分けて紹介している。第1章では、食器から新幹線まで私たちの暮らしを支えるデザインが一望できる。

 自主研究や試作を紹介する第2章。デザインを通じてよりよい社会にとの期待がにじむ。立っているのと同じ目線になれる昇降式車いすや、東日本大震災の被災地で仮設診療所として使われたユニット、触れると地球環境の現状が分かる地球儀…。

 第3章は、僧侶でもある栄久庵さんの精神世界を表現したインスタレーション「池中蓮華(れんげ)」と「道具寺道具村構想」が広がる。

 「美しいデザインは、ものをじっと見つめることにつながり、大切に使われてこそ人間とものが一体となって生きていると実感できる。ものは創造の媒体にもなる。そんな視点が伝わり、若者の創造力を刺激できたらいいなと思っている」

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 同展は、同館と中国新聞社などの主催で、12月23日まで。関連企画として、同館1階ロビーでは自動車メーカーマツダのデザインを紹介。3階ロビーでは、栄久庵さんが16年間「道具論」の講義をした広島市立大芸術学部の卒業・修了制作を特別展示している。

 11月23日午後1時半から、同館地下講堂で栄久庵さんの講演と、茶道上田宗箇流家元の上田宗冏さんとの対談がある。先着200人。無料。

(2014年11月22日朝刊掲載)

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