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81歳の挑戦 憩いのサロン 廿日市の大橋さん 12歳で被爆 「誰かの役に」

 誰かの役に立ちたいの。このままじゃあ人生、終われんけえ―。老境に差し掛かった頃から、いちずに言い続けてきた。信念の人だ。本当に思いを遂げようとしている。被爆者の大橋和子さん(81)。廿日市市佐方に、高齢者が憩えるサロンを開設する。原爆で死に直面しながら、自分は生かされた。だから、やり残しのない人生にしたいという。あす29日、オープンの日を迎える。(木ノ元陽子)

 サロンの名は「光輝幸齢者(こうきこうれいしゃ)の集い セカンドぷち」という。後期高齢者になっても助け合い、励まし合って元気でいましょうよ…。そんな願いを込めている。みんなでおしゃべりしたり、懐メロを聴いたり、囲碁や将棋を楽しんだり。目指すのは、「地域の友達づくりの場」だ。

 利用料は無料。セルフサービスでコーヒーをふるまい、自由に使える健康器具も準備した。また、調理師免許のある知人にスタッフに加わってもらい、高齢者向けには500円で食事も提供する。定期的なイベントも利用者の要望を聞きながら計画していくという。

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 この夏まで、大橋さんは広島市中区東平塚町で暮らしていた。長男夫婦が営む印刷業を手伝いながら、10年以上も温めてきた夢があった。事業所のビルの上階はアパートで、部屋が四つある。身寄りのない高齢者を安い賃料で迎えられないか。ご飯時はみんな集まって、一緒に食卓を囲めないか―。

 高齢者の孤独死など悲しいニュースに触れるうち、そんな夢を思い描くようになった。「自分にできること」をずっと探してきたから。理由をたどれば、69年前のあの日に行き着く。

 広島女子商業学校(現広島翔洋高)1年で12歳だった大橋さんは、爆心地から約1・5キロで建物疎開作業中に被爆した。火に追い掛けられながら逃げた。家屋の下敷きになった人の「助けてくれえ」の声。水たまりに映った、自分の膨れ上がった顔を見て気を失った。「元気で生きてきたことが奇跡じゃ思うんです。じゃけえ、宿題のように思うとりました。何かせんにゃあいけんって」

 ところが、夢の実現は遠かった。アパートの入居者探しに難航したのだ。高齢者の集まりそうな場所に出掛けては名刺を配り、困っている人を探したが手応えがない。くじけそうになった2年前、亡き弟が廿日市市で人に貸していた喫茶店が空き店舗になった。大橋さんは方向転換を決める。この店を改装して高齢者のサロンを開こう。これが夢のラストチャンスかもしれん―。

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 住まいも廿日市市に移しての81歳の挑戦。親しい友人は「その年で何をするん。やめときんさい」と心配してくれる。だが長男夫婦は背中を押してくれた。「ずうっとやりたかったんじゃ。応援するけえ」と。

 不安がないといえば、うそになる。知らない土地で受け入れられるかな、人が来てくださるかな…。「でもね、原爆のことを思うたら何も怖いことはない」。小さな体をうんと伸ばして、ガッツポーズをしてみせた。

 29日は午前6時半オープン。セカンドぷちTel0829(30)8366。

(2014年11月28日朝刊掲載)

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