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連載・特集

廃炉の世紀 第2部 日本の選択 <1> 先駆者(ふげん) 水中解体の可能性開く 

 福島第1原発の事故を経験し、原子力発電所の寿命を「原則40年」に制限した日本。国は、既に運転40年を超えた島根原発1号機(松江市)などの老朽原発に存廃の早期判断を求める。何十年もの時間を必要とする廃炉にどう向き合うか。私たちも選択を迫られる。(山本洋子)

 厚いコンクリートに覆われた巨大な原子炉が、静かにそびえ立っていた。2003年に運転を終え、廃炉作業が進む新型転換炉ふげん(福井県敦賀市、出力16万5千キロワット)の原子炉建屋内。「化学的な除染が進んでいるから、建屋内に入れる」。廃炉を担う日本原子力研究開発機構(JAEA)原子炉廃止措置研究開発センターの岩永茂敏・技術広報統括が説明する。だが炉内は依然、人が近づくには危険な放射線量がある。

 ふげんは、日本が初めて純国産技術で開発した発電用の原子炉だ。出力は島根1号機の半分以下。1978年に初臨界に達し、新聞は「自前で初の『原子の火』」と報じた。運転期間は25年。原子炉は燃料や制御棒などを取り出され、放射線量を下げるために「安全貯蔵」されている。岩永統括が「廃炉の核心」と言う原子炉の解体は、放射能との闘いになる。

 炉心全体を水中に沈め、遠隔操作のレーザーで切断する―。JAEAは放射能レベルが高い炉心の解体に、世界でも例のない方法を選ぼうとしている。切断で出る粉じんによる作業員の内部被曝(ひばく)を抑えながら、複雑な形の炉心を短期間で解体できると見込む。

 「炉内は人が近づける場所ではない。廃炉の先駆者として、さまざまな技術の可能性を研究したい」と岩永統括。ふげんは今後の廃炉ラッシュに向けた研究拠点の役割も担い、視察の受け入れも急増している。

 技術開発が進む一方で、JAEAは3年前、廃炉のスケジュールを5年延期。終了を「33年度」に修正した。原子炉解体の着手は22年度。貯蔵プールに残る使用済み燃料466体の搬出先がないためだ。また、現在進めるタービン建屋や復水器の解体で生じた大量の低レベル放射性廃棄物も搬出先はなく、敷地内で増え続けている。

 敦賀半島にはふげんのほか、高速増殖炉もんじゅ、敦賀原発、美浜原発が集中立地する。敦賀1号機、美浜1、2号機の計3基は既に運転40年を超えた。さらに敦賀2号機も、直下に活断層があるとされ、廃炉の決断を迫られている。

 「原発が止まった後にどんな問題が残るのか、核のごみをどうすべきか。反原発の運動の中では議論する余裕がなかった」。長年、住民運動を続けてきた敦賀市の元高校教諭、坪田嘉奈弥さん(87)は振り返る。

 「廃炉時代」を前に、地域経済への影響を懸念する声も広がる。坪田さんは言う。「後始末まで考えれば廃炉は途方もなく長い。地域も、覚悟を決めて向き合わざるを得ない」

新型転換炉ふげん
 プルトニウムと天然ウランを燃料として利用できる新型転換炉(ATR)の原型炉。1966年、原子力委員会が国家プロジェクトとして開発を決定した。構造は、沸騰水型軽水炉(BWR)に近い。国が廃止措置計画を認可した2008年、正式名称が「原子炉廃止措置研究開発センター」に変わった。

(2014年12月6日朝刊掲載)

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