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連載・特集

廃炉の世紀 第2部 日本の選択 <4> 遺産(原子力船むつ) 

停止後の原子炉展示 貯蔵施設の誘致に影響

 発電したことがある原子炉を一般公開する世界で唯一の施設が、津軽海峡に面した青森県むつ市にある。40年前に放射線漏れ事故を起こし、1992年に引退した国内初の原子力船むつ。かつての母港に隣接するむつ科学技術館に、その原子炉は展示されていた。

 技術館に入ると、おわん状の格納容器の頭が姿を現す。「むつの原子炉室をそのまま移設したんです」と、日本原子力研究開発機構青森研究開発センターむつ事務所の藪内典明次長。元機関士でもある。鉛ガラスの窓越しに、格納容器内の原子炉や蒸気発生器がほぼ当時のまま一望できる。

 むつは1年間の実験航海を経て引退。原子炉室が船体から切り離された95年当時、国内に廃炉の経験は乏しく、巨額の費用も見込まれたために解体は据え置かれた。展示を望む地元の声もあり、重さ約3千トンの原子炉室を港に運び、技術館を建てたという。

 特別に格納容器の中に入った。稼働期間が短く、停止から20年余り過ぎて放射線量も下がり、炉のそばまで近寄れる。炉の構造は、加圧水型軽水炉(PWR)とほぼ同じ。藪内次長は「むつはレスポンス(反応)が良く、プロペラが力強く回った」と振り返る。

 将来、原子炉は切断され、低レベル放射性廃棄物として廃棄される計画だが当面予定はない。「目立った反対もなく、地元には理解されている」とむつ事務所の水島俊彦所長。むつはまだ、廃炉の途上にある。

 「中間貯蔵施設反対」「『核のゴミ捨て場』はいらない」―。技術館近くの道沿いに看板が立つ。約1キロ離れた高台に造られた使用済み燃料の中間貯蔵施設に、反対の声が挙がっている。貯蔵施設は、東京電力と日本原子力発電の原発から出た使用済み燃料を金属容器に入れて年200~300トン受け入れ、再処理工場に運ぶまで最長50年保管する。施設は完成したが、原子力規制委員会の適合性審査を受けているため、稼働は来春以降とみられる。

 貯蔵施設はむつ市が誘致した。その経緯の中で、原子力船むつが登場する。市が東電に施設の立地調査を依頼したのは2000年。市は、原子力船むつの使用済み燃料を10年近く市内で保管した経験がある点を、調査の要請書に盛り込み、東電に伝えた。

 「むつは下北半島に初めて核を持ち込み、『原子力半島』への道を開いた」。むつ市の元高校教諭の斎藤作治さん(84)はこう受け止める。03年、誘致の是非を問う住民投票条例の制定を求めて直接請求したが、市議会で否決された。

 使用済み燃料を再利用する核燃料サイクルは機能していない。貯蔵施設から使用済み燃料が確実に運び出されるか、先行きは見えない。斎藤さんは「むつの原子炉のように、使用済み燃料がこの地に残る可能性はある」と懸念を拭えない。

原子力船むつ
 日本初の原子力実験船として1969年進水。74年、太平洋上で初臨界した後、放射線漏れ事故を起こした。安全点検などを経て、91年からの初の実験航海は約1年間で終了。92年に解体が始まり、95年に原子炉室を切り離した。残った船体はディーゼル機関で動く海洋地球研究船に再生された。

(2014年12月9日朝刊掲載)

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