×

連載・特集

廃炉の世紀 第2部 日本の選択 <8> 候補地選定(北海道・幌延町)

処分場押しつけ警戒 国主導への転換を急ぐ

 原発の廃炉を進める上で最大の課題となる放射性廃棄物の最終処分地の確保。地域が納得する形で決定する道筋は、見えていない。

 北海道幌延町の広大なサロベツ原野は一面、雪に包まれていた。約50頭の乳牛で酪農を営む川上幸男さん(85)は「酪農の町が核のごみでまちづくりしようという考えがおかしい」と苦々しそうに言った。「過疎脱却」を理由に長年、原発から出る放射性廃棄物の処分場の誘致を目指してきた町政に憤りを隠せない。

 人口約2500人。人口の約4倍の乳牛1万頭を誇る酪農地帯だ。川上さんは大規模農業に憧れ、古里の香川県から1954年に入植。ゼロから酪農を育んできた。

 町が原子力関連の施設を呼び込もうとし始めたのは80年ごろ。最初は原発、次に低レベル放射性廃棄物の処分場の誘致に動いた。83年に町議になった川上さんは一貫して反対を訴えた。次に浮上したのが、旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)による、高レベル放射性廃棄物の貯蔵・研究施設の町への建設計画だった。

 町議会議長で酪農家の植村敦さん(63)は、町議だった父親が推進派だった。「北の果てに企業は来てくれない。私も当時は、安全性が確保できるなら推進すべきだと思っていた」

 これに対し「幌延を核のごみ捨て場にするな」と反対運動が広がる。北海道議会は90年に施設の設置反対を決議し、動燃は98年に計画を撤回。最終的に、高レベル放射性廃棄物の地層処分を研究する幌延深地層研究センター(深地層研)が2001年にできた。

 深地層研は地元との協定で「処分場にはならない」と約束されている。だが、川上さんは「幌延は『誘致に動いた町』。全国どこにも行き場がなければ必ず狙われる」と警戒する。

 地層処分の候補地選びは難航している。02年に全国の市町村を対象に公募を始めたが、応募は07年の高知県東洋町だけ。同町では住民に反対の声が広がった。

 政府は国主導で候補地を示す手法に転換を急ぐが、そのプロセスが課題となる。動燃は80年代、地質調査を実施し、全国88地点を高レベル放射性廃棄物処分の「適地」に挙げた。当時、その事実も内容も公表されなかった。適地の中には、中国地方の7カ所も挙げられていた。

 現制度では、地層処分の文献調査に手を挙げただけで年間10億円の交付金が入る。「金をちらつかせて核のごみを押しつける社会でいいのか」。幌延の反対運動に関わってきた北海道下川町のルポライター滝川康治さん(60)は疑問を投げ掛ける。「近くに廃棄物が来ないと人は真剣に考えない。人口が集中する札幌で引き受けてはどうかと、あえて問い掛けたい」。まず議論を広げることが必要だと、滝川さんは訴える。

地層処分の候補地選定
 政府は2013年12月、適性が高いと考えられる地域(科学的有望地)を国が示し、複数地域に調査を申し入れるなどのプロセスの見直しを決めた。①文献調査②ボーリングなどの概要調査③地下施設での試験などの精密調査―を経て建設する。

(2014年12月14日朝刊掲載)

年別アーカイブ