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追跡2014 中国地方の現場から 核の惨禍 外相らに訴え

 オーストリア・ウィーンで、9日にあった第3回「核兵器の非人道性に関する国際会議」。広島平和文化センターの小溝泰義理事長(66)が訴えた。「一発の原爆が強いた想像を絶する苦しみを、自らの目で確かめてほしい」。そう被爆地訪問を求めた。

 ことしも広島に多くの要人が訪れた。4月、核兵器を持たない12カ国でつくる「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」が外相会合を、国内で初めて広島市南区で開催。外相たち12人は平和記念公園(中区)で原爆慰霊碑に花を手向け、原爆資料館を見学した。被爆者の英語の証言も聞き、討議に臨んだ。まとめられた「広島宣言」は核兵器の非人道性に触れ、保有国を含む各国の首脳に被爆地訪問を呼び掛けた。

 中国新聞の調べ(8月時点)では、戦後に少なくとも155カ国の要人が広島市を訪れている。米国のキャロライン・ケネディ駐日大使は着任後初めて平和記念式典に参列。「厳粛な思いで、より平和な世界を築くための誓いを新たにする日」との談話を発表した。

 被爆70年となる来年も国際会議が相次ぐ。8月には、市では19年ぶり4度目となる国連軍縮会議があり、市は各国のリーダーの参加を呼び掛けている。後半には、包括的核実験禁止条約(CTBT)関連の「賢人会議」の広島開催も計画されている。さらに市は2016年に日本で開かれる主要国首脳会議(サミット)の誘致を表明。実現すれば、オバマ米大統領の広島訪問にもつながる。

 しかし「核兵器なき世界」はまだ見えない。核軍縮の停滞を打破する切り札として期待が高まる核兵器の非合法化は、NPDIの広島宣言で取り上げられなかった。ウィーンでの国際会議でも、米国が核兵器禁止条約に反対の意思を明示した。被爆地に立ち、被爆者と話してなお廃絶へ二の足を踏む「為政者」がいるのも現実だ。

 被爆者は初めて20万人を割り込み、19万2719人(3月末時点)となった。11月、英語で証言し続けてきた被爆者の松島圭次郎さんが85歳で亡くなった。元気なら、NPDIの外相たちにも、平和への願いを伝えるはずだった。「原爆がどんなに残虐か、広めて」。ヒロシマはその遺志を受け継がねばならない。(岡田浩平)

軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)
 日本とオーストラリアが主導して2010年に発足した非核兵器保有国のグループ。同年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書に盛り込まれた行動計画の着実な実施を後押しし、「核リスクの低い世界」を目指す。現在は12カ国が参加している。日豪のほかはドイツ、オランダ、ポーランド、カナダ、メキシコ、チリ、トルコ、アラブ首長国連邦、ナイジェリア、フィリピン。

(2014年12月21日朝刊掲載)

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