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社説・コラム

『潮流』 浮世絵が描き出すもの

■三次支局長・田中紀昭

 浮世絵と聞けば、喜多川歌麿の美人画や葛飾北斎の富嶽三十六景などの風景画が頭に浮かぶ人が多いだろう。ただ浮世絵は、こうした美術品としての一面だけではなく、世相や風俗を民衆に知らせる側面もあったという。

 三次市の奥田元宋・小由女美術館で開催中の幕末明治の浮世絵展に足を運んだ。「浮世絵は美術品としてではなく、瓦版が進化した情報誌としてつくられた」と考えた故浅井勇助氏のコレクション約1万点の一部が並んでいる。

 例えば江戸末期の歌川国芳による「源頼光公舘土蜘作妖怪図」。表面上は平安時代を舞台にした歴史絵であり、あまたの妖怪が武将を取り巻く大胆な構図がひときわ目を引く。

 しかし実は、庶民の暮らしを厳しく取り締まった江戸時代の天保の改革を風刺しているとされる。つまり、武将は老中ら幕府の要人を、妖怪は改革の被害者たちを表す。浮世絵師の反骨精神がうかがえる。

 「幕末から明治にかけての浮世絵は、しばしば政治的な意味を含んだジャーナリズムであった」。勇助氏の孫の浅井收さん(77)=大阪府豊中市=は説く。

 浅井さんによれば、これらの絵は美人画などに比べ、刷り具合の悪いものが少なくないそうだ。「刷りを重ねて版木が傷んだ」のが理由という。裏を返せば、それだけ人気があったことになる。

 そもそも浮世絵の「浮世」は、「憂世」と書かれるのが一般的だったらしい。はかない世なのだから、せめて浮かれて暮らそう―。そうした考え方から転じたとされる。

 特定秘密保護法が施行された。国民の知る権利はどうなるのだろう。景気回復と言われても実感に乏しい。むしろ円安もあって物価は上がる。今の「憂世」を浮世絵師たちは、どう活写してみせるだろうか。

(2014年12月23日朝刊掲載)

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