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社説・コラム

『潮流』 真珠湾と73年の歳月

■論説委員・田原直樹

 気になっていた地に先日ようやく立った。旧日本軍が奇襲した真珠湾である。ハワイは20年前にも旅したがその際は訪ねずに帰り、心に引っかかっていた。

 南の島というのに冷たい雨が降る早朝。すでに多くの来場者の姿があった。記録映画を見た後、湾上の記念館に渡ると、油の臭いが鼻を突く。沈んだままの戦艦アリゾナから漏れ出る重油が水面に広がっていた。

 73年前に撃沈されたアリゾナ艦内には今も乗組員約千人が眠る。その上に立つ記念館は追悼施設であった。歴史の転換点を示す史跡や施設が集まった場所を、言葉もなく巡った。

 係留された潜水艦の中で魚雷発射管をのぞき込み、胸が詰まった。説明はないがここから放たれた魚雷が対馬丸を沈めた。800人近い疎開児童のほか民間人多数が命を落とした。

 日本の降伏文書調印の舞台となった戦艦ミズーリも退役後、ここに。右舷のへこみを見学できる。岡山県出身の搭乗員がゼロ戦で突入した跡という。

 旧日本軍の奇襲で太平洋戦争が始まった地であっても、冷たい目線を感じることはなかった。白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴が、昨年から展示に加えられたこともあるだろうか。博物館の一隅の小さな鶴。拡大鏡でのぞき込む来館者に、戦争のむなしさや核兵器の非道を訴えていると信じたい。

 移民県広島と関係の深いハワイ。だがホノルル市街で多く見かける日本人も、ここではほとんど見かけない。対照的に中国や韓国のツアー客が目立った。

 時代は移り、日米は長く同盟関係にある。まもなく迎える戦後70年の節目に、第3次安倍内閣は集団的自衛権の行使容認を含めた安全保障関連法案を成立させる構えらしい。  ここにもう戦禍や戦功を示すものが加わらないよう願いつつ、湾を後にした。

(2014年12月27日朝刊掲載)

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