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社説・コラム

私の学び 「福島ひまわり里親プロジェクト」を主催するNPO法人チームふくしま理事長・半田真仁さん 

広島復興に活動のヒント

 ヒマワリの種を福島県から全国に送って育ててもらい、実った種で福島に花を咲かせる「福島ひまわり里親プロジェクト」。東日本大震災後の2011年5月から、全国の仲間と取り組んでいる。

 古里の広島は、いつもヒントをくれる。ヒマワリが除染に効かないと分かり、活動を続けるか迷ったときに浮かんだのは、平和記念公園で折り鶴を手向ける修学旅行生の姿。ヒマワリの種を増やして福島に届けてくれる人の姿と重なり、息の長い活動にできるとの確信を持てた。

 同情でなく「学ばせてほしい」と人が集まる福島に―。そのヒントも広島にあった。平和都市建設のグランドデザイン(戦略)、市民に希望を与えた広島東洋カープやお好み焼きなど復興の物語だ。

 風評で修学旅行生が福島に来なくなって土産が売れず、福祉作業所が菓子箱を折る仕事を失ったのがプロジェクトの発端。種を発送する仕事をつくり、ヒマワリを見に来てもらうことで雇用や観光振興を図り、全国とつながることで風化を防ぐ戦略を立てた。

 震災から2年たつと、講演で福島を語っても反応が鈍くなった。深刻なテーマで、人の心をどうつかむか。「原爆の話は怖い」と拒絶していた小学生の僕の心にすっと入ってきた、ある広島の被爆者の軽妙でつぼを押さえた語り口を思い出し、手本にした。

 「逃げずに任務を果たす東京電力や福島県庁の人はすごい」などと、希望の持てる話し方を心掛けた。放射線量が高く外で長時間遊べないといった大事な話は写真を使って事実だけ語る。このやり方で応援してくれる人が増えた。

 多くの人に影響を受けたが、最初に就職した商社の上司は強烈だった。「普段自分が買わないジャンルの本を読め」「習い事で地元の人と交流しろ」と命じられ、産業心理学の講座に通った。

 それをきっかけに、キャリアカウンセラーの資格を取得。資格を生かし、若者自立相談員として福島県庁に転職、移住した。人の温かい土地柄が気に入り、社員教育の会社を福島市で起業した。

 ヒロシマという原点と、福島での人のつながり。二つを併せ持つ広島出身の福島在住者に与えられた役割があると思っている。導いてくれた人の縁に感謝し、福島に希望の種をまき続けたい。(聞き手は馬場洋太)

はんだ・しんじ
 広島市安佐北区出身。広島修道大卒。商社勤務や福島県商工労働部の若者自立相談員を経て、2008年に社員教育の会社「採用と教育研究所」を福島市に設立、所長に就任。11年からNPO法人理事長を兼務。

(2014年12月29日朝刊掲載)

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