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社説・コラム

社説 戦後70年 核と人類 「廃絶」手繰り寄せたい

 あまたの人命を奪い、街を焼き尽くした広島・長崎への原爆投下から、今夏で70年を迎える。

 「死ぬに死ねない」「戦争につながらない政治を続けて」

 元日付の本紙アンケートで被爆者たちがつづった言葉に胸が詰まる。あの日の記憶が、やがて風化してしまう―。そう懸念する声は約9割に達していた。

 被爆者の平均年齢は79歳を超えた。きのこ雲の下の惨禍を肌身で知る人が少なくなっている。

 だからこそ私たちは、被爆体験を継承し、行動する責務を果たしたい。何より核兵器廃絶へのステップを着実に進める一年としなければならない。

 被爆70年のことし、核兵器をめぐる国際政治は、大きな節目を迎える。

 4、5月には米ニューヨークで核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれる。核兵器を持つ米ロ英仏中の5カ国に具体的な核軍縮の実行を迫る、5年ぶりの機会である。8月には広島市で国連軍縮会議が催される。

せめぎ合う潮流

 停滞感が拭えない核軍縮の流れに変化が起きるかもしれない。というのも世界は今、核をめぐって二つの潮流がせめぎ合う状況にあるからだ。

 一つは、核兵器を完全否定する流れである。2010年のNPT再検討会議で、核兵器の「非人道性」が初めて最終文書に盛り込まれた。それを機に、核兵器は人道に反するという当たり前の認識が広がり、廃絶を急ぐ国際世論を後押ししている。昨年の国連総会では、非人道性を訴える声明に賛同した加盟国・地域は全体の約8割に及んだ。

 化学兵器や地雷、クラスター弾。その非人道性に着目した国際世論のうねりは、いずれも禁止条約につながった。次は核兵器だ、との認識が国際社会に浸透しつつある意味合いは極めて重い。

 一方で、それを阻もうとする流れが依然としてある。

 昨年12月、オーストリアの首都ウィーンであった「核兵器の非人道性に関する国際会議」。過去の会議で高まっていた核兵器禁止条約を導入しようとの動きに対し、初参加の米、英両国は明確に反対を表明した。

 非核国の主導する非合法化の流れに、核保有国が露骨にストップをかけてきたともいえる。

 2000年のNPT再検討会議では、核保有国を含む187カ国が「核兵器廃絶の明確な約束」をしている。15年前の約束を今回、あらためて確認してもいいのではないだろうか。

「核の傘」に依存

 核兵器を使わせない禁止条約の交渉テーブルに核保有国を着かせるのは、相当な困難を伴うのは確かである。

 被爆国であり、米国の同盟国でもある日本の役割が今こそ、問われている。

 ところがどうだろう。日本政府は米国の「核の傘」に依存し、核兵器の非合法化の流れに一線を画したままだ。

 しかも佐野利男軍縮大使は昨年末、来春のNPT再検討会議の展望について「成功はかなり難しい」との悲観的な見方を示した。数カ月前からこの様子では、やる気を疑われても仕方ない。

立ち返る原点は

 「広島と長崎から、人類は何も学んでいない」。ローマ法王フランシスコは昨年11月、核兵器廃絶が進まない現状をこう批判した。ほかならぬ日本政府も胸に手を当ててみるべきだろう。

 あの日、大切な人を救えなかった苦しみや悲しみ、平和の尊さを切々と訴える被爆者の証言が、人々の心を動かしてきた。しかし、その訴えを受け継ぐ営みは足元の被爆地でさえ十分とは言い難い。

 「核と人類は共存できない」。その原点を次の世代に引き継ぎ、世界にも発信する。それが核廃絶を手繰り寄せる源流となる。

(2015年1月3日朝刊掲載)

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