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社説・コラム

『この人』 創業400年の赤松薬局の会長 赤松偕三さん 

惨禍乗り越え 日々懸命

 広島市中区本通にある赤松薬局が、ことし創業400年を迎える。「私にとって一番の苦難は原爆かね」。両親も店も失った。あれから70年。「その日その日を精いっぱいやってきた」

 5人きょうだいの末っ子。薬剤師だった長兄はニューギニアの戦地に赴いた。父親に懇願されて1945年春、店を継ぐため岐阜の薬学専門学校に進んだ。あの日は岐阜にいて無事だった。

 何かあったらここを掘れ―。父の言葉通り自宅の庭を1メートル掘ると、白磁のつぼが出てきた。中には現金や貴金属、薬の疎開先を書いた紙が入っていた。「その後は原爆も戦争も忘れたくてね」。復学し、前を向いてがむしゃらに勉強した。

 惨禍を乗り越え、ニューギニアから復員した長兄と1947年、もともと店があった場所にバラックを建て、営業を再開した。つぼにあった現金を使い、疎開していた薬を並べた。漢方薬を作っていた時期もあり、特に戦後間もないころは「一服盛ってつかあさい」と風邪薬の調剤を求める客が多かった。

 周辺にドラッグストアが増えたいま、時代の流れを肌で感じる。「いい時も悪い時もある。時代に惑わされず、お客の相談に耳を傾け、いい商品を丁寧に売っていきたい」

 白衣代わりの白いベストがトレードマーク。「現役ばりばりじゃないから、白衣はねえ…」と笑う。店は長男正康さん(55)に任せたものの、毎日3時間だけ店頭に立つ。「息子の邪魔になるかもしれんけど、一緒に仕事しとうて」。目標は、生きている限り懸命に頑張ること。店に隣接する自宅で妻と2人で暮らす。(鈴中直美)

(2015年1月7日朝刊掲載)

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