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社説・コラム

社説 戦後70年 民主主義 政治参画の意識忘れず

 あの焼け跡が出発点だった。敗戦への受け止めはさまざまでも、もう二度と戦争はご免だと、多くの国民が誓ったはずだ。わが国はそこから、本格的な民主主義社会の建設へと踏み出した。

 それから70年。いまの社会は真に国民一人一人が主役となっているだろうか。基本的人権が等しく保障されているだろうか。

 ことしは春に統一地方選がある。政治や社会のありよう、地域の将来を考えながら、この国の民主主義の到達点を自己点検する年にしたい。

投票率が最低に

 言うまでもなく民主主義政治とは選挙、すなわち主権者である国民の1票が基本だ。

 1946年、戦後初の衆院選が行われた。大日本帝国憲法の下ではあったが、20歳以上の女性も参政権を持つ初の男女普通選挙でもあった。史上最多の2770人が立候補し、投票率は72・08%。466人が当選し、うち女性は39人(8・4%)だった。

 だが熱気はすっかり冷めたかのよう。昨年の衆院選の投票率は小選挙区で52・66%と戦後最低記録を更新した。有権者の半数近くが棄権した意味は極めて重い。

 政権選択選挙とならなかったのが最大の要因としても、それだけではあるまい。政治に愛想を尽かしていないか。諦めていないか。

 そもそも民主主義では、主権者の国民から信託を受けた為政者が、表現や信教など国民の自由を守り、教育の機会をはじめとする平等な社会を築く責務を負う。

 しかも政府は憲法を頂点とする法の支配下に置かれる。立憲主義である。それは、民の意向を無視して権力がたびたび暴走し、戦争に至ったという世界史の苦い教訓が背景にある。

 地方自治にしても、中央政府への過度の権限集中に対する防波堤と解することができよう。

気掛かりは格差

 むろん民主主義にも弱点はある。例えば合意形成に時間がかかるため、政策の決定や実行にスピード感が欠けがちだ。だからといって少数意見が封じ込められれば、社会的弱者の存在が無視されたり、自由にものが言いにくくなったりしてしまう。

 その意味でこの国の政治や社会の現状を考えたとき、最大の気掛かりは格差の広がりではないか。貧困世帯に暮らす子どもが約6分の1を占め、成長しても貧困の連鎖からなかなか抜け出せない。

 安倍政権は女性の活躍をうたう。ところが昨年暮れの衆院選にしても女性の当選者は45人で、全体の9・5%にすぎない。男女共同参画社会の実現が程遠い象徴と言えよう。

 いまの政権に求められるのは、富める者をますます豊かにする経済政策ではなく、生活苦にあえぐ社会的弱者へのまなざしではなかろうか。一人一人を大切にする公平で公正な社会こそ、民主主義の基盤である。他者への思いやりに欠ける風潮は、富の再配分を軽んじる政治と無縁ではなかろう。

 国民の知る権利をないがしろにしかねない特定秘密保護法が昨年末、施行された。自民党憲法改正草案では国民の権利について「常に公益及(およ)び公の秩序に反してはならない」とのただし書きが付く。だが国益、公益とは本来、「国民益」であるはずだ。

統一地方選こそ

 政権が最重点課題に掲げる地方創生も違和感が残る。地域のありようを決めるのは国ではなく、そこに暮らす住民にほかならない。

 しかし、地方選挙でも総じて投票率は低下傾向にある。1票の行使すらできない無投票もしばしばある。これでいいはずはない。

 ことしで「平成の大合併」からちょうど10年を迎える市町は中国地方にも多い。4月の統一地方選を、古里の来し方行く末を見つめ直す機会ととらえたい。政治に白けていては、地域は変わらない。主権者として自治に加わろう。

(2015年1月7日朝刊掲載)

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