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社説・コラム

『記者縦横』 核のごみ 迫られる議論

■経済部・山本洋子

 ある新年会の席で、先輩記者に迫られた。「核のごみをどう処分すべきか議論しろ言うけど、あんたの考えはどうなんか」。原子力発電所の解体や後に残る放射性廃棄物がテーマの連載「廃炉の世紀」への指摘である。欧州や国内の廃炉、核のごみを地下深く埋める地層処分の現場を取材したが、明確な答えの持ち合わせはなかった。

 世界初の商業原発が稼働して約半世紀。対して、高レベル放射性廃棄物を人間社会から隔離すべき期間の目安は10万年以上とされる。核のごみを、どこでどう「始末」するのか。脱原発を決めたドイツでさえ、政治や宗教、倫理の専門家や市民団体が処分地を選ぶ基準をゼロから議論し直していた。

 万年単位の安全は誰も保障できない。どの国も住民は「ここではないどこか」を処分地に求める。放射性廃棄物との共存を選ぶ地域がなければどうなるか。中国地方には経験がある。

 1950~60年代にウランを採掘していた鳥取、岡山県境の人形峠周辺。大量の残土が放置され、日本原子力研究開発機構(旧核燃)は10年前、放射線量の高い一部を米国ユタ州の先住民居留地にあるウラン精錬所へ送った。国内で行き場がない廃棄物としてでなく、「資源」の名の下に。

 廃炉はゴールでなく、世紀をかけた放射性廃棄物の問題を突きつける。「トイレのないマンション」で安穏と暮らしてきた住民の一人として、正答のない議論から逃げない覚悟だけは決めている。

(2015年1月16日朝刊掲載)

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