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社説・コラム

天風録 「20年という歳月」

 世界遺産の折り紙まで付いた原爆ドームも、かつての広島市には「目の上のこぶ」だった。取り除け、忘れたいとの声が被爆者に根強かったからだ。結局、戦後22年目まで判断はずれ込む▲阪神大震災から、きょうで20年になる。悲しみが「成人式」を迎え、踏ん切りをつけようとしている被災者もいれば、肉親や友達を奪われた深手に節目などあってたまるかとつぶやいている人もいるに違いない。心の復興にはそれぞれの歩調がある▲被災地の20年を書きためた詩集「春よ めぐれ」(編集工房ノア)が神戸市内の書店に並んでいる。<もう二年経(た)った。/まだ二年しか経っていない><生き継いで十二年><忘れても気づく。繰り返し気づく。十四年>。揺れる心模様がそこここに▲著者の安水稔和(やすみず・としかず)さんは1945年6月の神戸大空襲で焼け出された。その焼け野原を震災はほうふつさせた。県立公園の震災碑にも刻まれた詩はこう始まる。<これはいつかあったこと。/これはいつかあること。>▲目を凝らして紡がれた詩句の数々に、はたと気付く。被災地の外にも、問いは向けられていよう。戦災や大震災を「生き延びた自覚」がもう薄らいではいませんか、と。

(2015年1月17日朝刊掲載)

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