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広島で踏み出す春 原発事故で避難 福島の後藤さん

■記者 鴻池尚

 東日本大震災で被災し福島県南相馬市から広島市に避難してきた後藤孝明さん(48)の一家5人が、新たな生活に踏み出す。長女益澄(ますみ)さん(12)は、楽しみだった小学校の卒業式がなくなり、同級生とも離れ離れに。それでも笑顔を絶やさず、故郷を気遣う。6日、広島市内の中学校に入学する。

 自宅は福島第1原発の北約20キロ。後藤さんは母アイ子さん(78)と自宅で激震に見舞われた。1月に購入したばかりの家は壁や屋根瓦が崩れ落ちて半壊。街をのみ込んだ津波が1キロ手前まで迫った。

 益澄さんと次女で小学5年の諭(つぐ)身(み)さん(10)、妻の恵さん(43)は学校と勤務先にいて、家族全員が無事だった。

 3月12日に同原発で爆発事故が発生。後藤さんは放射能の影響を心配して住み慣れた地を離れる決意をした。同日夜には同県郡山市に車を走らせ、広島市の親戚を頼って18日にたどり着いた。今は市営住宅で暮らす。

 福島原発は非常事態が続き、南相馬市は一部に避難指示が出るなど混乱が続く。卒業を控えていた益澄さんの小学校は避難所となり、23日の卒業式は中止。学校再開のめども立っていない。

 恵さんの携帯電話には、益澄さんが地元の友達に送ったメールが残る。「水とか食べ物とか大丈夫なの 早く学校であいたい」

 姉妹は今月から広島市内の小、中学校にそれぞれ通う。中学校の校長から「一緒に頑張ろう」と励まされた姉妹は涙が止まらなかった。恵さんは「地震の後、一つも不満を言わない。寂しさやショックもあるのに、親に心配をかけまいと気遣ってくれているのでしょう」と思いやる。

 益澄さんの制服は団地の住民が譲ってくれた。仕事は白紙状態の後藤さんだが、「広島の方には感謝したい。子どもたちのためにも頑張っていこう」。そう決意している。

(2011年4月1日朝刊掲載)

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