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社説・コラム

『言』 写真保存の最前線 歴史の「生き証人」後世に

◆日本写真家協会専務理事・松本徳彦さん

 歴史の「生き証人」である写真を後世に伝えようと、古いフィルムなど原板の収集・保存に日本写真家協会が取り組んでいる。とりわけ人類が忘れてはならないのが70年前の原爆投下。惨状をあらためて人々の胸に刻んでもらおうと8月、原爆写真展を東京都内で開く。協会の専務理事で、尾道市出身の写真家松本徳彦さん(79)に写真保存の重要性を聞いた。(聞き手は論説委員・田原直樹、写真・高橋洋史)

 ―写真展の名称にはメッセージが強く表れていますね。
 「知っていますか! ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」と題した通り、忘れられつつあるという危機感があります。展示する60点余りには教科書にも載るような知られた写真もあるので「何を今更」という声もあります。でも知っているつもりで、実際は何が起きたのか分かっていない人が多いのではないか。若い世代はもちろん大人もいま一度、向き合うべき歴史です。

    ◇

 ―今、開催する意義は。
 被爆翌日の長崎市内を、山端庸介氏は撮影しました。その写真原板が遺族から写真家協会の日本写真保存センターに寄託されています。その68こまは、いわば原爆の「生き証人」です。70年の節目にぜひ生かしたい。そこで中国新聞カメラマンだった松重美人氏らによる広島の原爆写真とともに、人々へ訴えかけることにしました。

 ―原爆がテーマの写真は多くありますが、なぜ被爆直後の記録写真に絞ったのですか。
 何があったのか、つぶさに見てほしいのです。写真は誕生から約180年。芸術だとか表現だとか語られますが、やはり基本は事物の記録です。真実性こそ、写真の本質ですから。

 ―原爆写真はどんな役割を。
 被爆者が亡くなり、語り部が少なくなりつつある。本や文章は書いた人の理解や、読む人の受けとめで、伝わるものが変わってくるかもしれない。でも写真は、誰が見ても事実と認めるでしょう。そこが強みです。とりわけ原爆の記録は、写真というものの価値を証明する最も重要なものです。

 ―国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産への登録も目指しているそうですね。
 広島と長崎への原爆投下は、繰り返さぬよう人類が語り継がねばならない出来事。その極限下で惨禍が写された。世界平和に関わるものとして普遍性があり、遺産にふさわしい。まずは国の文化財にすべきです。

 ―写真展は東京だけですか。
 広島、長崎はもちろん、各地で開きたい。デパートを会場に開催を交渉していますが、どうも難しそうです。悲惨で衝撃的な内容のためでしょう。でもそこを見てもらいたいのです。逆にうれしいことに、海外から問い合わせがあります。

    ◇

 ―フィルムなど原板から紙焼きして展示するそうですね。どういう意図ですか。
 デジタルデータからのプリントでも画像の内容は変わりませんが、質はどうか。デジタル化といっても、高精細のものから密度の低いものまでさまざま。ある程度のデータなら展示可能な写真になるが、できれば原板から焼いた写真で見てもらいたい。訴求力が違うと思います。

 ―原板の保存状態は。
 写真にすると、一部に傷みが見られるかもしれません。それが年月を経たフィルムの状態です。保存の大切さを考えてもらう機会ともしたいのです。

 ―劣化している訳ですね。
 30年ほどたつと、ビネガーシンドロームなど劣化が始まるのは、やむを得ない。でも温度と湿度を適切に保てば100年以上は持ちます。デジタル化すればいいと言う人がいますが、データをいつまで保存できるか分からない。一瞬で消える恐れもあり、やはり原板を残したい。保存センターは戦後の物故写真家のネガなどを調査し、集めています。すでに国立近代美術館フィルムセンターの収蔵庫に5万4千本を収蔵しています。

 ―原爆写真も後世へ引き継いでいけますか。
 貴重な写真は、まず原板をできるだけ長く保存するよう努める。その間に銀塩プリントを作ると同時に、高精細なデジタルデータも残す。その両面で継承する考えです。掛け替えのない遺産ですから。

まつもと・のりひこ
 日本大芸術学部卒業。在学中、フラメンコ舞踊の写真がカメラメーカーの写真展で入選。主婦と生活社に勤めた後、63年独立。水谷八重子らの舞台写真を中心に活動。09年には尾道市立美術館で「しまなみ・ノルマンディー『二つの都市』写真展」を開催。写真集「越路吹雪 愛の讃歌」のほか「日本の美術館と写真コレクション」など著書多数。東京都練馬区在住。

(2015年1月21日朝刊掲載)

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