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連載・特集

[スタディーツアー] アンネの家 この目で 参加する若者8人の抱負

 公益財団法人ヒロシマ平和創造基金が3月に開催するスタディーツアー。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台の一つとなったアウシュビッツ(ポーランド)や、アンネ・フランクの隠れ家があったアムステルダム(オランダ)を巡る広島の若者8人は、何を学び、ヒロシマをどう伝えようとしているのか。動機や抱負を聞いた。(山本祐司)

広島経済大3年 大津元貴さん(21)

 高校卒業までホロコーストについて、わずかに学んだ世界史の授業と「アンネの日記」でしか知りませんでした。大学入学後はポーランドのクラクフ経済大の留学生から悲惨な歴史を聞くことができました。今度は自分が行って確かめてきます。

 ポーランドやオランダでは平和についてどう考えているのか、日本と欧州の間で平和についての考え方に違いはあるのか―。現地の学生と意見交換できるのが楽しみです。

広島市立大2年 川田亜美さん(20)

 「S2(エスツー)」という大学の平和活動サークルに所属しています。平和記念公園をガイドしたり大学生同士で平和について討論したりしています。活動を通し、ヒロシマの記憶を若者が引き継ぐにはどうしたらいいか、考えるようになりました。今回、この疑問の答えを見つけたいです。

 また、他国を侵略した日本の歴史を見詰め直し、ヒロシマとアウシュビッツの若者が未来に向けて何ができるか、話し合えればと思います。

広島修道大2年 田辺美咲さん(20)

 本やインターネットに頼るのではなく、自分がホロコーストのあった場所を巡ることで、事実を自分の目で見て受け止めてきます。強制収容所の生還者の方から人生に与えた影響や平和への思いを聞きたいです。

 現地の若者との交流で、私たちは何をしなくてはいけないか知るヒントが得られるでしょう。ヒロシマのメッセージを伝え、現地で思ったことを広げていくのが、広島で生まれ育った私の使命だと感じています。

広島大1年 土江友里子さん(19)

 原爆投下は、人類が忘れてはならない負の歴史だと考えていました。しかし留学した米国の高校の授業で肯定的に取り上げられていて驚きました。日本軍による真珠湾攻撃の方が多くの人の心に残っていました。

 以来、被害と加害両方の視点から歴史を捉えないといけないと思い始めました。戦争の苦しみを経験したのは日本だけではありません。そう理解した上で、原爆投下がいかに恐ろしかったのかを伝えたいです。

県立広島大1年 時盛郁子(ふみこ)さん(19)

 ヒロシマとアウシュビッツで起きた出来事を、どう継承していくか。自分の目で見て考えてきます。広島に住む私たちは平和について学んできました。しかし被爆体験を直接聞く機会はいずれなくなるでしょう。

 そんな時代にも平和な世界を残すため行動しなければいけないのは、私たちです。将来、子どもや大切な人に「戦争って平和って何だろう?」と話す時、自分の言葉で説明できるよう、この機会を生かします。

広島大2年 松川純さん(20)

 映画や本が好きです。「アウシュビッツ」と聞き、強制収容所での体験をつづり映画化もされた「夜と霧」や、イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」といった作品の世界を思い浮かべ、この目で実際に見たいと考えて応募しました。

 70年前のポーランドも広島同様、ゼロから街を立て直し、当時の体験を語り継いできました。今回、海外の平和教育や海外から見たヒロシマについても学びたいと思います。

県立広島高2年 河野新大(あらた)さん(17)

 「働けば自由になる」の文字が掲げられたアウシュビッツ強制収容所の門。自分の足で門をくぐり、自分の目で鉄条網の向こう側を見て、写真だけでは伝わり切れない過去の記憶を感じてこようと思います。

 記憶を受け継ぐため、70年以上前にあった出来事を学んできます。被爆者から聞き取ったヒロシマの記憶は、自分たちが世界に発信しなければなりません。戦争の恐ろしさ、非人道性を伝えていきたいです。

広島女学院高1年 鼻岡舞子さん(16)

 以前から本を読んで、アンネ・フランクの隠れ家などに興味がありました。実際に見ることができるので、とてもうれしいです。

 広島で生活していて原爆について学ぶ機会は多くありますが、ほかの戦争の歴史について知る機会は少ないように感じます。今回はホロコーストのことを深く学び、実際に見て感じたことを帰国後、多くの人に伝えようと思います。日本と違う街並みや日常の生活も知りたいです。

(2015年1月26日朝刊掲載)

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